特許 在宅翻訳者◇美緒のおうちでホンヤク◇翻訳者の生活/日記・ブログ
はじめまして、フリーランス特許翻訳者の景山美緒と申します。これから1年間、「美緒のおうちでホンヤク」の連載を通じて、 私の在宅翻訳生活などをお伝えしていこうと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
2008年9月23日(最終回)
31.コトバ
 私の息子は1歳半になりました。1歳4ヶ月のころから、少しずつ言葉が出てきて、今では数十個くらいボキャブラリーが増えました。最初の言葉は「ママ」で、その後は、鉄道関係の言葉が出てきて、鉄道オタクまっしぐらです。朝起きると、「タントン、タントン」(ガタンゴトン:電車のこと)と言って、電車を出すようにせがまれるので、プラレールの電車を箱から出すことが朝一番の仕事になっています。
 息子に話しかける時、「花きれいだね」、「ワンワンかわいいね」などと自然に言っていますが、ふと、このような言葉は社会的言語だなあ、と思いました。単に、花を見て、「これは花だよ」と言うのではなく、「花きれいだね」と言うことにより、花=きれいなもの、花=きれいと言うべきもの、という社会的通念を教えているわけです。もしかしたら、花をきれいと思わない人もいるかもしれないけれど、この社会で生きていくには、「花=きれい」と言っておくべきなのだ、とみんな小さい頃から教え込まれるのです。
 幼稚園生や小学生が、テレビでインタビューされているのを聞くと、旅行から帰ってきた子が、インタビュアーに「どうだった?」と聞かれて、たいていは、「楽しかった」、「おもしろかった」と答えているように思います。本当に楽しかったのかもしれないけど、子供なりに、こういう質問を第三者からされたら、「楽しかった」と答えるべきだとわかっているのでしょう。楽しくなかったとしても、又は、楽しかったという表現よりもっと違うニュアンスに感じていたとしても、です。
 もっと大人になっていくと、状況に応じた「型」のセリフを覚え、お世辞や謙遜も使いこなすようになっていきます。自分の正直すぎる気持ちをそのまま言葉にするのではなく、臨機応変に言葉を選ぶ、すなわち、社会的言語を身に付けていくのです。社会に出るほど、つまり、家庭から遠くなるほど、このような社会的言語を使う必要性に迫られます。中学生くらいになると、まだまだ半人前なのに、社会的言語を使わなければならない場面が増えていき、窮屈に感じる人もいるでしょう。家庭内では、ある程度言いたい放題言って、社会では、人間関係を円滑にするように言葉を選ぶことにより、バランスの取れた生活を送れるのかもしれません。言語は、家庭でも、社会でも、人間と関わる際に不可欠なコミュニケーションツールなのです。
 そういう意味では、翻訳という仕事も、書き言葉ながら、言語を介して読み手に伝えるのですから、コミュニケーションの一種です。また、原文の書き手の伝えたいことを読み取るわけですから、書き手とのコミュニケーションでもあります。特許明細書なら、その特許明細書という世界で規定されている言語表現や単語を使い、原文の内容を変えずにそのまま他の言語に置き換える、というのが、翻訳者に課せられたコミュニケーション方法なのです。「この発明、無理矢理じゃないか?」などという余計な感情は決して入れてはいけません。
 私は、この特許翻訳という、ある意味匿名で、しゃれた言葉を排除し、代わりに理系用語満載で、正確に内容を伝える仕事に、とても魅力を感じています。私の息子は、まだ言語の世界に足を踏み入れたばかり。将来、どんな仕事をするにしても、コミュニケーションは必須です。私は、翻訳者として、母親として、そして、社会の中で様々な立場で、今後も人とコミュニケーションをとることを楽しもうと思います。
 この連載も、不特定多数の読み手の方々とのコミュニケーションでした。まあ、かなり自己満足的な、独断的な内容ではありましたが・・・。それでも、何人かの読み手の方々から、メールを頂き、楽しいやり取りをさせていただきました。私の「モゾモゾ好き」に賛同した「モゾモゾ好き」の女性から、特に反響を頂きました。「モゾモゾ好き翻訳者の集い」でもやりたくなりました。「モゾモゾ好き」の方もそうでない方も、私の独り言にお付き合い下さり、ありがとうございました。どこかでお会いできるのを楽しみにしています!

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2008年7月20日
30. 保育園 vs. 幼稚園
 子供の一時保育を始めてはや1ヵ月半経ちました。半日保育を2週間ほど続けた後、一日保育に切り替えました。子供は保育園に大分慣れたようで、ぐずらずに機嫌よく遊び、昼食も家でよりずっとよく食べ、昼寝も十分にしているようです。しかし、預けるときは、毎回大泣きです。保育園の駐車場に着いた瞬間から泣き出し、保育士さんに抱っこしてもらうと、更に大泣きになり、私は、心苦しい気持ちで去っていきます。毎回、この瞬間は、「親の勝手な都合で子供にあんなに悲しい思いをさせて、本当にこれでいいのだろうか?」と自分を責めてしまいますが、夕方迎えに行って、保育士さんに、「今日もおりこうでしたよ」と言っていただくと、「子供にとってもよい経験なんだ」と、前向きに考えることができます。
 保育園に行き始めてから、子供が、他の子供に興味を持つようになり、外で会うと、嬉しそうに近寄っていくようになりました。社交性が身に付いてきたのでしょうか。それから、保育園では、飲み物をコップで飲んでいるので、いつのまにか、大人の助けなしで、コップでこぼさずに飲めるようになりました。また、昼食に食べたものを聞いて、「こんなものも食べるんだ」という発見ができ、食事の幅が広がっていきそうです。しかし、不思議なことに、保育園で食べたと聞いて、家で作って食べさせてみると、食べなかったりするのです。また、食事の量も、保育園でのほうがたくさん食べているようです。私の料理がまずかったりして・・・?でも、保育士さんによると、そういう傾向は他の子供にもあるそうなので、保育園でみんなで食べると、自然と好き嫌いなくたくさん食べられるのかもしれません。
 肝心な私の仕事ですが、週2回の一時保育のおかげで非常にはかどり、仕事と育児の両立ができていると実感できます。仕事をもう少し増やそうかな、などと欲が出てきそうです。
 このように、一時保育を利用して仕事と育児をこなすという路線で、軌道に乗ってきたのですが、いろいろ迷うことはあります。まず、一時保育というのは、あくまでも臨時に預けるためのものなので、保育士さんは毎回違うし、子供の年齢も1歳から5歳までと様々です。よりよい保育を受けるには、やはり正規に登録して、毎日通うべきなのかもしれません。毎日通えば、預けるときに泣くこともなくなっていくのでは・・・と思ったりもします。しかし、もし正規に保育園に預けたら、小学校就学前まで保育園に行くことになります。そうすると、幼稚園に行かないことになります。保育園と幼稚園の違いは、よく分かりませんが、幼稚園では、保育してもらうことに加えて、教育をしてもらえるようなイメージがあります。私のように、どちらか選択可能な立場の場合、保育園と幼稚園では、どちらのほうが子供にとってよいのだろう、と考えてしまいます。もちろん、保育園のほうが悪いなどとは思いませんが・・・。
 2歳の終わりまで一時保育で繋いで3歳から幼稚園に通わせるか、又は、正規に保育園に入れるか、うーん、迷うところです。まあ、保育園の定員がいっぱいで入れないかもしれないですが。でも、こんなことを言っているうちに時が経ち、前者のパターンになるような気がします。幼稚園にも、給食や放課後の預かり保育がある所もあるようなので、それを利用すればなんとか仕事もできるでしょう。だって、お弁当作りは、めんどくさいですから〜(相変わらずダメ主婦です)。

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2008年6月4日
29. 初めての保育園
 先日、いよいよ初めての一時保育を予約し、期待と不安でいっぱいだったのですが、なんと予約日の前日から、息子が水ぼうそうに罹ってしまいました!なんというタイミング・・・。息子の抵抗でしょうか?やむなく予約は取り消して、母子共に自宅軟禁の生活となりました。あれこれ悩んだり、準備したりして、ようやく最初の予約をしたのに、出鼻をくじかれてしまいました。そして、結局10日程家を出られなかったのですが、これが予想以上に辛かったです。一日中家の中で乳児とふたりきり・・・何度同じ絵本を読んだことでしょう。何度同じ遊びをしたことでしょう。時間が経つのが恐ろしく遅く感じました。
 そんな中、息子がついに歩けるようになりました!時々転びながらも、よちよち歩く姿は、感慨深く、かわいいものです。本人も、歩けることが嬉しいようで、公園で靴を履いて歩くと、トコトコトコトコ、いつまでも歩いています。親のほうは、危なくないように必死で追い回します。それにしても、子供の靴は、小さくてかわいいですね。最初の靴なので、張り切ってデパートで買ってきました!親のほうが楽しんでおります。
 水ぼうそうのせいで、一時保育のスタートが遅れてしまい、仕事が始まる6月にまだ慣らし保育の状態だなあ・・・と思っていたら、5月下旬に、依頼元2社から、少し早いけど仕事をお願いします、という連絡を頂き、嬉しい悲鳴となりました。子供の昼寝の間に、久しぶりに仕事をして、とても充実感を感じました。頭がハキハキしてくる感じがしました。やっぱり仕事はいいなあ〜!
 しかし、調子に乗りすぎると、また育児と仕事に押しつぶされそうになるでしょうから、いよいよ一時保育を始めることにしました。まずは午前中のみの半日保育からスタートです。初めての日、保育園のおもちゃに気を持たせている隙に、私はスーッと抜け出し、家に戻って急いで仕事をしました。息子のいない部屋が、暗くて静かで、ちょっと不思議な感じでした。心配なので、終了の30分前に迎えに行ったら、既に昼寝をしていました。本来は、まだ昼寝の時間ではないのですが・・・。連れて帰って昼寝の続きをさせようとしましたが、もう寝てくれませんでした。2回目も同様でした。私の勝手な計画では、午前中に預けて、午後に昼寝をさせて、その間ずっと仕事をしようと思っていたのですが、昼寝をしてくれないのでは、預けても預けなくても仕事の時間があまり変わりません。うーん、ゆゆしき問題だ。
 保育士さんに、保育園での息子の様子を聞くと、時々ぐずり、昼食は少ししか食べず、食べている間に眠くなり、終了前に寝てしまう、ということでした。まだまだ赤ちゃんのような生活パターンです。一時保育は、4月1日時点で1歳という条件なので、3月生まれの息子は、一番小さい子になってしまい、まだ、一時保育の生活リズムに合わせきれないのです。
 保育園側も、私の息子はまだ小さいから、しばらくは午前中のみの半日保育をして、慣れていくのがいいのでは、とアドバイスして下さいました。きっと、もう少し時間が経てば、昼食も食べるようになるだろうし、体力が付いて早く寝てしまうこともなくなるだろうし、そうしたら、一日中預けられるようになるだろう。それまでは、かえって大変なことも多いでしょうけど、何とか頑張って、育児と仕事をこなしていこうと思います。

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2008年5月12日
28. ダメ主婦!?
 あまり大きな声では言えないのですが、私は家事が余り得意ではありません。できれば誰かにやってもらいたいくらいです。あ、こんなこと言ってはいけませんよね。そうは言っても主婦ですから、掃除、洗濯、料理など、一応やっております。もっと上手にできれば、楽しいのかもしれませんが、どうも楽しむ領域まで達していないです。
 それでも、一番好きな家事は、洗濯物たたみです。たぶん、頭を使わないでやっているからでしょう。天気のよい日は、洗濯物がカラカラに乾いて、スッキリとした気分になれます。洗濯物を干すのもまあまあ好きですが、ベランダに置いてある洗濯機から洗濯物をかごに入れるときに、よく洗濯物を落としてしまい、砂がついてしまうことがあり、小さく落ち込んでしまいます。
 掃除は、子供が生まれてからは、一応毎日掃除機をかけるようになりましたが、外に勤めに出ていた頃は、週末にかけるだけでした。水周りの掃除は、気が向いたらやる程度なので、積極的にお客様を呼んで、自分を追い込んでいます。
 一番難関なのが、料理です。毎日毎日朝昼晩、更に今は1歳児の好みも考えて、料理を作らなければならず、私の肩に重くのしかかっています。小さい子供がいて買い物にも行きづらいため、食材の宅配を利用しています。頼んだその日に届けてくれるので、とても便利です。大抵一週間分のメニューを考えて、まとめて注文するのですが、この作業がツラい・・・。子供が寝ている隙に、無い知恵を絞っております。
 メニューは、そんなにレパートリーはないのですが、どの料理も作り方を覚えられず、毎回毎回料理の本を見て作っています。だから作るのが遅いのだと思います。普通の主婦は、長年の勘で調味料の分量を決めるのでしょうけど、私は、何年経っても、「適当」ができず、本当に適当にやってみると、とんでもなくまずいものができあがるので、本の通りに分量を量ってやっています。効率が悪〜いですね。でも、一応手作りを心がけていますよ!クックドゥーは使いますけどね。そういえば、私の酢豚の作り方は、鶏のから揚げを買って来て、揚げた豚の代わりに使い、クックドゥーの「酢豚」を使って作る、というものなのですが、これを友達に言ったら、かなり呆れられました。確かに、「どの部分が料理なんだ?」って聞きたくなりますよね。ところで、この間冷凍食品のハンバーグを食べたらすごくおいしくて、手作りする気力を失いそうになりました。
 そして、極力やりたくないのが、裁縫です。本当ーに苦手です。スカートの裾がほつれたり、ボタンが取れたりすると、その服は当分の間着ないことになります。どうしてもその服を着たくなったときに、渋々直します。とにかく、針を持って作業するため、その間ずっと、不安定な状態な気がして、出来栄えはさておき、早く終わらせたい、と思ってしまいます。服や小物を手作りしちゃう人は、本当に尊敬します。
 更に、アイロンがけも面倒です。子供が生まれてからは、私はアイロンがけが必要な服は着ないようにしていますが、旦那のハンカチだけは、やらなくてはなりません。ハンカチは15枚くらいはあると思うのですが、ずーっと貯めておいて、いよいよ最後の一枚、となったら、重い腰を上げて、まとめてアイロンがけを行います。旦那は、会社にスーツを着ていかないので、ワイシャツのアイロンがけがなくて助かっています。たまにスーツを着たときには、ワイシャツはクリーニングに出します。だって、安いんだもん。
 なんだか、ダメ主婦ぶりをわざわざ披露してしまいました。「仕事と育児の両立」なんてかっこいいことを言っていますが、こんなところにしわ寄せが来ているのですよ。でも、家族の健康のためにも、料理だけは、もう少しがんばろうと思います。酢豚も、たまにはちゃんと作ります!

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2008年4月25日
27. 一時保育に向けて・・・仕事が恋しい!?
 現在、6月からの一時保育に向けて、色々準備しているところです。当初の私の計画は、息子が、1)牛乳が飲めるようになること、2)ストローマグが使えるようになること、3)昼寝を添い寝授乳なしでできるようになること、そして、4)できればゴールデンウィークに卒乳すること、でした。しかし、一歳児相手ですから、計画通りになんて行くはずないですね、ほとんど実行できていません。

 まず、昼間の授乳をなくす代わりに、水分・栄養分補給のために、1)、2)を始めました。昼間の授乳は、なくても済むようになりましたが、牛乳とストローマグは完全拒否。こちらが一時保育に向けて焦っているのが伝わるのでしょうかねえ。そして、今までコップで麦茶を飲んでいたのに、それも飲まなくなり、水分を全く受け付けなくなり、代わりに、昼寝と夜寝の授乳のときに、ここぞとばかりゴクゴク飲んでいるのです。私のほうが諦めて、まあ、しばらく時間を置いてまたトライしよう、と思い、数日後にストローマグに麦茶を入れておいたら、なんと自分から飲みました。いやー成長したなあ!でも相変わらず牛乳はコップでもお気に召さないようですが。
 先日、一時保育で利用する保育園に登録に行って、見学をしたり、保育士さんと話をしたりしてきました。ディスプレイされていた給食は、炊き込みご飯に煮物と、私の息子からするとレベルの高いものでした。また、一時保育の周りの子は、二歳児が多く、一歳になったばかりの我が息子は、踏み潰されないかとやや心配になりました。でも、保育士さんは、給食も昼寝も、ちゃんとこちらがやりますから、と、プロとして自信を持って言ってくださったので、なんとかなりそうです。卒乳について尋ねたら、「別に無理にしなくてもいいんじゃない?預けている間はなんとかなるものよ。」と言われました。そう言われると、三日三晩泣き続けられると言われている卒乳(というか、断乳)をするのも大変そうだし・・・ということで、3)、4)は、とりあえず延期しようかなと思っています。
 こうして、一時保育に向けたトレーニングは、あまり必要なくなりました。今までどおり、昼寝や夜寝をさせた後、ふと、自分の時間ができると、今度は、「この時間に、仕事できるのにな。」なんて、欲が出てしまいます。育児と仕事であんなに苦しんでいたのに、こんなことを思うなんて・・・。やはり、私は、忙しくても仕事していたいのかもしれません。前倒しして、5月から仕事再開しようかな、と少し思いますが、せっかく頂いた休暇ですから、空いた時間に、「今度息子に何を食べさせようかな」とか、息子のためになることをしたり考えたりしようと思います。でも、息子の服を作るとか、そういう賢母的なことはできませんっ! 私、裁縫が大の苦手ですから。

 あと、息子のアルバム作りもしたいです。写真を現像して、コメント付けて、などという作業は、仕事が始まったらできないでしょうから。それから、ママ友を家に招いておしゃべりしたり、情報交換したりして、ママライフを楽しもうと思います。あ、でも、こうしているうちに、私の仕事がなくなったらどうしよう・・・と少し不安に思ったり。なんなのでしょうかね。この仕事に対する強迫観念みたいなものは。きっと、私は、少し追い詰められているくらいの生活が好きなのでしょう。6月からの、一時保育を利用しての育児と仕事の両立という生活が、楽しみです。

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2008年4月5日
26. ママ翻訳者奮闘記
 前回の連載から大分間が空いてしまいました。大量に仕事が来て、わからんちんの育児をして、時間的・体力的・精神的に余裕のない状態だったのです。やっと連載を書く余裕ができて嬉しいです!
 仕事は、現在、3社から請けているのですが、いずれのクライアント様もとっても大事で、今後とも末永くお付き合い頂きたく、平気な顔してお仕事を承っていたら、フルタイムで働いてやっとこなせるくらいの量になってしまいました。

 一方、育児のほうは、泣き虫、食べ物の好き嫌い、夜泣きと、手のかかることオンパレードでした。息子は甘えん坊で、ママじゃなきゃダメな子になったのはうれしいことなのですが、オムツ換えもお風呂も、ママじゃなきゃダメで、旦那に代わってもらえないのです。
 このように手のかかる子供をやっと寝かしつけると、即座にパソコンに向かって仕事をしなければ間に合いません。あー余裕がないっ! いっそのこと病気にでもなって入院すれば楽だなあ〜。ごはんは出てくるし、子供は旦那や親がなんとかしてくれるだろうし・・・などと、バチ当たりなことを考えたりするのですが、いくら忙しくても、母は強しなのでしょうか、体はやたら丈夫で、一向に倒れる様子はありません。もう少し、かわいげがないものかね。
 でも、気持ち的にはどんどん追い詰められていきました。仕事の納期に間に合わないのではと心配で心配で、子供が寝ている間に仕事を必死でやるのですが、昼寝の時間が短かったり、夜頻繁に起きられたりすると、何でもっとちゃんと寝ないのよー!と、イライラが募りました。育児なんて、思い通り、計画通りになんて行くはずないのに。更に、月齢が進むにつれて、子供に新たなトレーニング等が必要になってきます。そういったものは、親のほうが心に余裕を持ってやらないと、子供にとってよいトレーニングになりません。

 この状況の打開策を色々考えた結果、一時保育というものを利用することにしました。一時保育というのは、週に2,3日保育所に子供を預けるものです。これなら、仕事と育児の両立ができるだろうと期待しています。しかし、預けるためには、子供を、人に預けられる状態にしなければなりません。私の息子は完全母乳で育てているので、昼間の授乳の代わりに、牛乳などを飲めるようにする必要があります。コップの練習も必要です。また、昼寝も添い寝授乳しているので、他の方法で寝かしつける練習をしなければなりません。これらは、私と子供にとって、大きな大きな課題です。そこで、今請けている仕事だけはきちんと終わらせて、その後、5月いっぱいまで仕事をお休みし、トレーニングをすることにしました。仕事を休むのは心苦しいですが、トレーニングはそれくらい一大事なのです。
 まず、今請けている仕事をとっとと片付けるために、また里帰り翻訳をしました。そして、晴れて、今日、仕事が終わったのです!だから、すがすがしい気分なのです♪明日から、各種トレーニングを始めようと思います。
 こうしている間にも、子供はどんどん成長しています。ここ一週間でも、色々成長が見られました。ベビーアフタービクスで、初めて、泣かずに一人遊びをしてくれました。今までは抱っこしないとダメで、私は思い切り運動ができず、腕力だけがついていったのですが、その日は、エアロビクスを楽しめました。また、昼寝を3時間位しっかりしてくれるようになりました。ベビーカーも、最近は嫌がるようになっていたのが、ちゃんと座っていられるようになりました。
 それでも、育児は大変です。世の中のママたちは、みんな、自分の育児が特に大変だと思っていると思います。でも、大変じゃない育児なんて、ないのでしょうね。大変だけど、子供の成長を感じていけるので、楽しくて幸せですよね。

 育児を楽しんで、心に余裕を持って子供に接して、かつ、仕事も続けていくために、一時保育が、私にとって大きな支えとなってくれると思います。仕事のお休みを頂いている期間に、ゆったりと、楽しく、子供にトレーニングをして、一時保育の準備をしようと思います。

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2008年1月16日
25. 「KY」に潜む危険
 明けましておめでとうございます、と言うと既に遅れている感がありますが、今年も宜しくお願いいたします。
 昨年の年末に、仕事が終わって、これで気持ちよくお正月休みを迎えられる、と思いきや、年始期限の仕事が来て、なんだか忙しい冬休みでした。でも、普通の人が休みのときにこそ仕事が来るのがフリーランスであるので、仕事が来ることには、ありがたいと思わなければなあ。

 ところで、昨年の流行語大賞のノミネートの中に、「KY」というものがあったと思いますが、この言葉、皆さんはどう思われますか?私は、こんな言葉が流行語になっているなんて、と、現代の日本を悲観してしまいます。
 「KY」というのは、「空気読めない」をローマ字表記して頭文字を取ったものらしく、場の空気が読めない人に対して、「あの人KYだよね」のように使うようです。どこから出てきたのか、誰が作ったのか、全く知らないのですが、人の悪口が流行語になるとは、悲しい世の中です。
 私は、去年の秋ごろに、あるテレビ番組を見ていて、この「KY」という言葉の存在を知りました。その番組は、爆笑問題の太田光が総理大臣になって、ディベートが得意な有名人たちが、時事問題を議論しあう「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。」という番組です。この日、何が議題だったか忘れましたが、タレントのふかわりょうが、この「KY」という言葉の危険さについて熱く語っていたのが印象に残りました。口が立つ人々に横槍を入れられて、ややグダグダになってはいたものの、私は、「KY」に警鐘を鳴らしてくれたことに関して、ふかわりょうに拍手を贈りたい気持ちでした。
 まず、「KY」に秘められた「空気が読めない人」の意味は、本来の「場の雰囲気に応じて相手の気持ちを理解できない人」という意味よりも、「見えない圧力により画一的な思想や行動しか許されていない窮屈な社会の中で抜き出てしまっている人」というほうが近いと思います。つまり、「あの人KYだよね」と言うことにより、異端を簡単に排除してしまっているのです。まさに、出る杭は打たれる社会ということでしょうか。
 更に、そういった、人の個性を踏みにじる残酷な意味あいを、「KY」というローマ字2文字の省略形にすることで、なんとなく薄めて、「あの人KYだよね」と言うことに、なんら罪悪感を感じなくてすむようにしてあるのです。ほんの2文字で、人を異端の闇に陥れようというのです。
 こんな恐ろしい言葉を、子供も大人も使っているのです。流行語にまでなるなんて、日本は相当ストレスの溜まる夢のない国になってしまったのでしょうか。そういえば、昔、母親に、「MMK」という言葉を教えてもらったことがあります。私の母親が子供のころに流行った言葉のようなので、年配の人しか知らないと思いますが、「モテてモテてこまっちゃう」だそうです。こんな楽しいユーモアのある言葉が流行っていた時代には、日本の人々は、精神的に充実感があったのでしょう。流行語というのは、世相を反映するのですね。

 とにかく、KYなんて言葉、早く廃れればいいなと密かに思っています。KYなんかより、ICとか、LTPSとか、OLEDとか、理系用語のほうが、ずっとかっこいいですよ!

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2007年11月13日
24. インクカートリッジ特許訴訟
 先日、インクカートリッジのリサイクル品をめぐる特許訴訟の判決のニュースが流れましたね。プリンタメーカの純正インクカートリッジのリサイクル品を製造・販売したことが特許侵害にあたるとして、プリンタメーカがリサイクル品販売会社を訴えた事案ですが、日本の二大プリンタメーカと言えるキャノンとセイコーエプソンが、同じ様な内容で訴訟を起こしたにもかかわらず、キャノンは勝訴、セイコーエプソンは敗訴と、明暗が分かれました。私は、個人的には、セイコーエプソンの敗訴は不当なのではと思いました。自信を持って主張できる根拠もないのですが、私はいつも、メーカの味方でありたいのです。

 焦点は、リサイクル品の販売が違法かどうかではなく、プリンタメーカのインクカートリッジの特許が有効かどうかだったようです。新聞記事によると、キャノンは、「インクを染みこませる2つのスポンジを密接させてインク漏れを防ぐ」というインクカートリッジの特許を保持しており、リサイクル社製品が、「インク漏れ防止の特許の効果を復活させるもの」と判断され、キャノンの勝訴となったようです。一方、セイコーエプソンは、「カートリッジのインク漏れを防ぐフィルムなどの構造に関する技術の特許」を保持しているが、今回の訴訟で、この発明自体に新規性がなく、特許は無効とされ、セイコーエプソンの敗訴となったようです。

 私が納得いかないのは、セイコーエプソンの発明が、今回の訴訟をきっかけにいきなり新規性がなく無効とされたことです。この発明の審査で新規性があるとされたから特許になったのに、今回無効としたということは、最初の審査が間違っていたことになるじゃないですか。訴訟なんかなければ、特許は有効なままだったかもしれない・・・。とにかく、特許化されて、これを一つの武器として、セイコーエプソンは、維持年金も払っていたと思うのに、今回役に立たなかったわけですから、維持年金返せーって言いたくなると思います。

 また、今回のような訴訟で、特許の新規性の有無を問うのみで、リサイクル品の販売の違法性を問わないことも、私は納得がいきません。そもそも、メーカが一生懸命作ったインクカートリッジの筐体を勝手に再利用して、そこに他社のインクを充填して、純正品より安く売るなんて、ずるいですよ。この行為自体が違法であると判断されるべきだと私は思います。まあ、こういう議論になってくると、特許訴訟の範囲を超えるのかもしれないですが。

 でも、世の中には、今回の「リサイクル品」のような製品はたくさん出回っていますよね。私も、知らないうちに、そういうものを買っているかもしれません。「リサイクル品」と比べてどちらが悪いのか分かりませんが、模倣品もたくさんあります。私は、メーカの味方として、できるだけ純正品を買うように努めています。たとえそれのほうが高くても、メーカの技術者がモゾモゾ作ったものを、評価したいですから。例えば、身近なところでは、毎日の生活に欠かせない食品です。いわゆる有名メーカのベストセラーの商品をすっかり真似したものってたくさん売っていますよね。百円均一のお菓子なんかに、よく見受けられます。また、洗剤等の日用品も同様の状況です。私は、技術者が研究・開発したことを想像して、なるべく純正品を買っています。模造品だって、既に純正品の特許が失効していたりして(ジェネリック医薬品みたいなもの?)、別に違法じゃないものもあるでしょうし、模造品会社の技術者もモゾモゾしているかもしれないけど、私はやっぱり元祖の価値を評価したいのです。純正のインクカートリッジは高いけど、一生懸命翻訳の仕事して、買いますよー、メーカさん!

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2007年10月17日
23.鉄道系=モゾモゾ
 この間の日曜日(10月14日)、埼玉県さいたま市に、鉄道博物館がオープンしましたね。
秋葉原にあり昨年閉館した交通博物館の後継施設で、本物の車両が展示されていたり、ジオラマがあったり、運転シミュレータを体験できたりするようで、何とも楽しそうです。オープン初日に、我先に館内に走っていく人たちの映像をニュースで見ましたが、やはり鉄道オタクっぽい人が多かったですね。鉄道オタクも、モゾモゾしていて、私の好きな人種です。鉄道オタクの、ひとつのモノに対する執着心と、外見と、挙動とが、私の言うモゾモゾ理系のそれに通じるものがあります。やはり鉄道オタクとモゾモゾ理系には、相関性があるのでしょう。まあとにかく、鉄道オタクにとって夢のような施設ができました。
 私は、鉄道オタクの方々には足元にも及びませんが、鉄道は好きです。男兄弟の中で育ったので、小さいころは、兄と一緒に、時刻表を眺めたり、ブルートレインのヘッドマークを覚えたり、山手線や総武線等の駅名を暗記したり、鉄道模型(トミックス)を組み立てたりしました。ブルートレインには、家族旅行で実際に乗り、寝台列車に大興奮で、眠れませんでした。ブルートレインはかっこよくて楽しいですねー!山手線の駅名暗記は、自分たちがよく利用した品川駅から始まり、時計回りの順です。実際に駅を利用して覚えたわけではなく、ただの丸暗記なので、反時計回りには言えません。このように、女にしては、鉄道は身近な存在でした。だから、鉄道博物館には是非行ってみたいです。

 誰かに聞いた話ですが、幼児の男の子は、戦隊物系と鉄道系の2つのタイプに分かれるそうです。戦隊物系は、現在はどのような戦隊物のテレビ番組があるかなどは知りませんが、例えば昔で言うウルトラマンのようなもののフィギュアを持ち、「へ〜んしん!」などと叫ぶタイプです。そして、鉄道系は、私が小さいころにやっていたように、鉄道模型にはまるタイプです。私の勝手な考えですが、この2つのタイプの選別は、将来、スズメバチになるか、カイコになるかの、重要な選別のような気がします(スズメバチとカイコって何?という方は、私の連載3をお読み下さい)。私の子供は、一体どちらのタイプになるでしょう??私の希望は、もちろん、鉄道系になってほしいです。「へ〜んしん!」などと活発に動くのでなく、モゾモゾと時刻表を眺めて机上旅行をしたり、モゾモゾと鉄道模型を作ったりしてくれたらなあ、と密かに願っています。まあ、心配しなくても、家系的に、鉄道系になる可能性が高いと思いますが。旦那も、将来家を買ったら、再び子供のころやっていたような鉄道模型を広げたいと言っていますし。
 子供がもう少し大きくなって、電車に興味を持つようになったら、家族みんなで鉄道博物館に行きたいと思います。また、ブルートレインなど、実際の電車に乗って旅行したいです。家族みんなでモゾモゾしたいです。

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2007年9月26日
22. 里帰り翻訳
 この間、急ぎの仕事が来ました。量もかなり多く、子育て中の私は、こなせるか心配になりました。うーん、どう考えても、1日あたり夜の1時間半程度では、とても終わらない・・・。やっぱり仕事と育児の両立は無理なのか・・・?と、いつもながらに悩みました。しかし、こういうとき、いつも、仕事を断る、という選択肢は、結局選ばないのです。なんとかやってみよう、と思い、考え付いたのが、子供を連れて1週間ほど実家に帰る方法でした。さっそく実家に電話して事情を話すと、かわいい孫が来るとあって、快諾してくれました。

 実家にいれば、家事はやってもらえるし、子供の面倒も見てもらえます。授乳だけは、母乳なので私しかできませんが、それ以外の、抱っこやあやし、ベビーカーでの散歩など、いろいろな子守を親に頼みました。子育ては、人手があると、とてもやりやすいですね。普段、昼間ひとりで子供の世話をしていると、家事などでどうしても手が離せないときに子供が泣いても、なかなか100%は相手をしてあげられず、ちょっとの間泣かせっぱなしにしておかなければならないこともあります。しかし、実家に行けば、子供がちょっとぐずれば、ばあばが「よしよし抱っこしてあげようね」と言ってあやしてくれます。
 おかげで、仕事がはかどり、大量の翻訳を予定より早く仕上げることができました。翻訳を依頼した担当者に、「納期は最長でいつでいいですか?」などと、私は、いかにもきつそうな調子で言っていたのに、あっさり早めに納品してしまったので、担当者は不思議に思ったかもしれませんね。
 両親の協力のおかげで、今回の仕事を乗り切ることができたわけですが、子供は、ちょっと泣けばすぐ抱いてもらえる、と思ってしまったようで、なんだか甘ったれになった気がします。自宅に戻ったら、この甘ったれの世話が大変そうです・・・。でもとにかく、今回のように、大変な仕事が来たときは、このように実家に帰るという方法を使えばよさそうです。実家を巻き込んでまで仕事をするなんて、わがままかなあ、と少し後ろめたい気持ちもありますが、親のほうも、期間限定で孫が来てくれるなら、楽しいだろう、と勝手に自分を納得させています。夫は、1週間子供に会えなくてかわいそうですが・・・。

 夫は、今回1週間私と子供が実家に帰っている間、夕食を会社の食堂で食べています。家に帰っても誰も夕飯を作って待っていてくれる人がいない人達が、「サミシーズ」という自虐的なグループ名をつけて、会社で夕食を食べているそうで、夫は、1週間だけサミシーズのメンバーに加わったようです。1日目に、「あれ、景山さん、どうして今日はここにいるんですか?」と、サミシーズの一人に聞かれたので、夫は、「カミさん、子供連れて実家に帰っちゃったんだよ・・・」と、妻子に逃げられた夫に扮して楽しんでいたようです。それにしても、サミシーズの夕食の光景を勝手に想像すると、とても楽しそう!カイコさんたちが桑の葉をモゾモゾ食べているようで・・・。夫は、今や蛾になったとはいえ、元はカイコですからね。桑の葉の味が懐かしかったのではないでしょうか。

 このように、色々な人の協力によって、今回の仕事ができました。サミシーズのみなさんもありがとうございました。今後もこういうことがあったら、蛾(夫)を仲間に入れてあげてくださいね。

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2007年9月9日
21.ベビーアフタービクス
 私の子供が3ヶ月のころから、ベビーアフタービクスというものに通っています。前半に、ベビーマッサージという、一種の母子のスキンシップのようなものをし、後半に、赤ちゃんを後ろに寝転がせておいてお母さんがエアロビクスをする、というものです。ベビーマッサージのほうは、私の子供がいやがるものもあるので、適当にやっていますが、子育て一色の生活の中でも子供を預けずに自分が運動できるというのが、私にとってとても魅力的です。

 私がやっているベビーアフタービクスのレッスンは、あるスポーツクラブで行われていて、そこには、一般の方々も、水泳などをしに来ています。私が赤ちゃんを抱えて館内に入ると、おばさま方が、「かわいいわねー」などと声を掛けてくれます。この間も、あるおばさまが、私の子供を見て、「まあー、鼻が高くて、おめめが大きくて、イケメンねえ」と、褒めてくださいました。しかし、いい気分になっていたら、「きっとパパがイケメンなんだ」ですって。ありゃりゃー、私、全否定ですかー。いいんですよーおばさま。正直なんだからー。子供を褒めてくれたんだから、まあいいか。
 レッスンには、私の子供と同じくらいの月齢の赤ちゃんを連れたお母さん方が来ています。子供が同月齢のお母さんの友達(いわゆるママ友)がほしかった私にとっては、ママ友を作るいいチャンスです。でも、「ママ友を作るぞ!」と、躍起になりすぎて、相手の方の負担になってはいけないので、友達になってくれそうな人はいるかなー、と、しばらくは様子を見ていました。徐々に、お互いのことを話すようになり、2人の方と、メールを交換するようになりました!
 一人の方は、子供の月齢がとても近く、育児の悩みなどを共感できそうです。子供たちにとっても、いい刺激になるでしょう。家もまあまあ近いので、時々遊びに行き来できたらいいと思います。
 もう一人の方は、何と理系だとおっしゃるので、私の理系萌え精神がうずき、専門分野や仕事を聞いてみると、何と、特許翻訳者だというのです!こんなところで同業者と会うとは!驚きと同時に、育児の他に仕事面でも共感できるとあって、とても嬉しい気持ちになりました。その方は、社内で特許翻訳をしているそうです。思わず、「じゃあ、クレームとか訳してるわけですね」と言ってみたりしました。ベビーアフタービクスでクレームなんて言葉を発する機会があるとは思わなかったです。
 ベビーアフタービクスのようなところで出会うと、お互い「育児をするママ」としてしか見ないですが、話してみると、意外な事実が発覚するものですね。赤ちゃんとの生活で、家にこもり、孤独になりがちですが、ベビーアフタービクスに通って、よい友達との出会いがあって本当によかったです。

 ところで、先程書いたように、レッスンでは、後半は、赤ちゃんを寝転がせておいてお母さんがエアロビクスをするのですが、その間も、赤ちゃんの様子を常に注意して見ていなければなりません。月齢が進むにつれて、寝返りやずりばいなどでどんどん動いていってしまうからです。また、子供の機嫌が悪くなったら、抱っこしてあやしたりもします。他の子は、寝てくれたりして、お母さんはエアロビクスに専念できるのですが、私の子は、寝たことがほとんどなく、最後のほうにはギャアギャアになってしまいます。毎回、最後の整理運動は、子供を抱っこしながら行っています。それでも、ベビーアフタービクスは、友達ができるし、いい運動になるし、おばさまは褒めてくれるし、いいことがいっぱいです。

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2007年8月28日
20.子育ての世界
 今回もまた子育てのことを書いてもいいですか?
今は頭の中は子育て一色で、他に思いつくことがないのです・・・。夜子供が寝た後も、いつ起きて泣くかわからないので、テレビや新聞もどこかうわの空で集中できないです。

 私の息子は5ヶ月になりました。5ヶ月といえば、一般的にそろそろ離乳食を始める時期です。料理の苦手な私は、息子が生まれてからずっと、「離乳食めんどくさいなあ」と思っていました。何と駄目な母親なんでしょうねえ。だからといって、全部市販のベビーフードというのも情けないし・・・と、面倒がるくせにプライドが高くて、手に負えません。しかし、5ヶ月になった直後、なぜか急に、「よし!離乳食作るぞ!」という気になりました。人間、滅びないようにできているのですね。母親の本能でしょうか。さっそく10倍がゆを作ってあげてみました。すると、パクパクとよく食べてくれたのです。生まれて初めてのことなのに、抵抗なく食べるなんて不思議です。今後、炭水化物の他に、ビタミンやタンパク質もあげていきます。おろしたりすりつぶしたり・・・いつまでやる気が続くか心配ですが、まあたまにはベビーフードも使って、無理のないようにやっていこうと思います。
 5ヶ月に入って、体の機能もどんどん発達してきています。ついに寝返りが完成しました。4ヶ月のころは、仰向けから横向きに、90度回転しては戻る、というのが多かったのですが、今は、仰向けから腕で体を支えるうつ伏せになることができます。その瞬間を動画に撮ってニンマリしております。親バカでございます。また、近くにあるおもちゃに手を伸ばして取ることができるようになりました。そして、うんこは相変わらずはみ出すほどしてくれます。うんこ大王、健在です。

 ところで、子供をベビーカーに乗せて出かけると、今までひとりで歩いていたときには気付かなかったことにいろいろ気付かされます。道路や駅などに段差があると、やはり不便を感じます。扉が手動だったりすると、開けにくくて困ります。階段なんて、絶対に無理です。だから、駅にエレベータやエスカレータがあると、とてもありがたいなあと思います。他の地方のことはよくわかりませんが、東京近郊の駅には、たいがいエレベータやエスカレータが設置されていますね。なんて親切な社会なのだろう、などと今更のんきにそう感じました。それから、街中で、ベビーカーを押している私のために、手動の扉を開けて下さる方がいます。本当に助かります。なんて心の美しい人がいるものだろう!私は、ひとりで歩いていたころは、不親切な通りがかりの人だったのだろうな。
 子供が生まれてから、赤ちゃんに会いたいと言って、わざわざ家まで遊びに来てくれる友達がいます。これにも感動しました。赤ちゃんに会いに来てくれるなんて、心豊かな人だなあ。私は、子供を持つ前は、他の人の子供には別に興味がなく、子供を持った人と喜びを共感するなどという広く美しい心を持っていませんでした。
 私には、まだまだ、自分が体験していないために社会で見過ごしていることがたくさんあるでしょうけど、少なくとも、子供を持つことによって、子供を持つ人の世界がわかってきました。より正確に言えば、子供を持つ人の世界と、子供を持たない人の世界との間に、橋がかかったような気がします。子供が大きくなるにつれて、もっと違う世界にも橋をかけていくことになるのでしょう。私の子供が、モゾモゾ君になったら、私の中のモゾモゾ君の世界がもっと広がっていくでしょう。楽しみなことがいっぱいです!

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2007年8月11日
19.う○こ大王
 今回は、4ヶ月になる私の息子について書きます。私の息子はですねえ、か〜わいいですう!最初の行から親バカ発言で先が思いやられますねえ〜。自分の子だからかわいいのかもしれませんが、それだけでなく、客観的に見ても、かわいい顔をしているのです。パパにもママにも似てない、ハンサム君なのです。突然変異かしらん?かわいく産んで、でかしたぞ、私!(いい加減にしろ!)

 私と息子の生活はというと、授乳は昼間が大体3時間毎、夜間が4〜5時間毎。これ以外でも、機嫌が悪くてどうしようもないときや、夜に寝つきが悪くて起きちゃったときにも、授乳します。完全母乳でやっています。あとは、おむつ換え、ご機嫌取りの抱っこやあやし、眠いときの寝かしつけ、散歩、お風呂など、15分と時間を置かずに色々なお世話が必要になります。これがはいはいするようになると、片時も目が離せなくなるのでしょう・・・。
 このように、子育ては大変で、すっかり子供中心の生活です。私は里帰り出産をしたのですが、1ヶ月健診が終わってから、自宅に帰り、昼間はほぼ母子のみの生活が始まったばかりのころは、まだ子供は新生児で外にも出せず、一日中家にこもりっきりで、子供がギャアギャア泣いても、自分しか世話する人間がいないし、泣いている理由もよくわからないし、自分の時間なんてないし、ずっと抱きっぱなしで家事もろくにできず、独り涙した日もありました。子供がほしくてやっと産んだのに、こんな辛い気持ちになるなんて・・・。
 しかし、母がタイミングよくメールで励ましてくれたり、近所の先輩ママにアドバイスしてもらったり、公共サービスの一環で保健士さんに訪問してもらったりして、だんだん心に余裕が持てるようになりました。「何で泣くんだろう」とか「家事も何もできない」とか悩むよりも、「赤ちゃんだから泣くのは当然だ」、「今は育児に専念するときだから、他のもことができなくてもいいのだ」と思うようにし、抱っこしたまま赤ちゃんが寝てしまえば、そのまま抱き続けて自分はテレビを見たり、新聞を読んだりすればいいし、干したふとんをしまわなければならないときは、その間だけ泣いていてもらって、後で「ごめんね」と言って抱っこしてあげればいい、と、気楽に構えるようにしました。そのうちに、小技を習得し、例えば、寝ている子供を抱っこしながら片手でキーボードを打って仕事をしたり、授乳後に子供が腕の中で寝たときに、自分もうたた寝をして、夜の授乳による睡眠不足を解消したりできるようになりました。また、泣く理由がある程度予測できるようになりました。
 こうして、心に余裕が出てくると、子供が一層かわいいと思えるようになりました。特に、子供をベビーカーに乗せて外に散歩に出たときに、通りすがりの人から、「まあかわいい!」と言われると、とっても嬉しい気持ちになります。そんなこと自分は言われたことないので・・・。「赤ちゃんだからかわいい」っていう意味なんでしょうけど、「この赤ちゃんはかわいい」という意味に勝手に解釈しています。あー、みんなに見せびらかしたいっ!

 ところで、私の息子は、うんこを大量にする子です。いきなり汚い話ですみません。母乳を飲んでいる赤ちゃんはこういう子が多いのかもしれませんが、とにかくすごい量です。便秘とは全く無縁です。夫と私は、「うんこ大王」と呼んでいます。一日に2〜4回くらい、豪快にやってくれます。ズボボボボ・・・!という音がして、開けてみると、この小さい体からよく出てくるねえ、と思うくらい出ています。タイミングを逃して2回分くらいまとめて出るときは、おむつからはみ出して、背中までべっとりとなり、洗濯が大変です!でも、大量うんこは、なぜか全然イヤでなく、こちらまでスッキリした気分になります。これが子育ての不思議なのでしょうかね。
 ギャアギャア泣くけどかわいい我が子。早く大きくなって手がかからなくなるといいのにな、と思いつつ、この小さい時期をうんと楽しもうと思います。

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2007年7月26日
18.ママ翻訳者、休む間もなく仕事に突入!
 今年3月に誕生した我が息子も、生後4ヶ月となりました。最初のころは、出産の疲れも取れないまま、24時間体制の育児に突入し、いっぱい泣かれたり、沐浴が上手にできなかったり、おむつを開けた瞬間に噴水が出てきたりと、大変で戸惑うことが多かったですが、最近は大分生活のリズムもついてきて、泣かれても心に余裕を持って対応できるようになってきました。とはいっても、育児はやっぱり大変です! 夜、子供を寝かしつけて、ほっと一息つくと、疲れがどっと出てきます。それでも、夜の授乳があるので、グッスリ朝まで寝ることはできません。
 こんな状況の中、6月から仕事を再開しました。昼間、子供が起きている間は、基本的には仕事ができないので、夜、子供が寝てからしています。でも、子供が寝てから自分が寝るまでの全ての時間を仕事に費やせるわけではなく、料理、洗濯物たたみなど、昼間子供の世話でできなかった家事をしたり、自分が食事したり、お風呂に入ったりするため、仕事の時間は、一日せいぜい1時間半くらいです。本当は、育児から解放されるこの貴重な自分の時間に、ゆっくりしたり、新聞を読んだり、旦那と話したりしたいのですが、休む間もなく仕事に突入です。育児ONの後、仕事ONという感じで、OFFの時間がないです。

 余裕のない生活に、疲れて、旦那に愚痴を言ったり、もう仕事辞めようかな、と思ったりします。しかし、一方で、仕事の依頼元が、ぜひ景山さんにお願いしたい、と言って仕事を依頼して下さると、その期待に応えたいと思ってしまいます。せっかく依頼元と信頼関係を築いているのに、ここで辞めたら将来また依頼してくれるとも限らないし・・・と将来を心配したりもします。やはり、仕事と育児の両立は、難しい問題ですね。
 外に働きに出る人は、子供を預けるという選択肢しかないので、迷うことはないですが、私の場合は、在宅で仕事をしているので、やろうと思えば、子供を預けずに家で仕事と育児をすることができてしまうのです。しかし、私の体はひとつだけ。両方こなそうとすると、体が持たなくなってしまいそうです。ああー、どうすればうまくいくのだろう・・・。
 比較するものではないですが、仕事と育児のどちらが大事かと聞かれれば、育児を選びます。なるべくなら子供を人に預けずに自分で育てたいし、子供に、ママは仕事に気をとられて真面目にボクにかまってくれない、なんて思わせたくないです。だからといって、仕事を辞めてしまうと、社会から切り離された気持ちになったり、自分の能力を生かす場がないと嘆いたり、辞めたら辞めたで文句を言いそうです。この欲張りな私は、どう結論を出したらよいのでしょう。

 今は、4ヶ月の子供は、あちこち動くこともないし、母乳をあげていればよいですが、これから、はいはいが始まって、目が離せなくなり、離乳食も作らなくてはならなくなります。そうしたら、一層仕事をする余裕がなくなっていくことでしょう。
 悩んでいる中で、ぼんやりと私の中にある結論は、やっぱり「両立」です。でも、両方100%は無理なので、育児はほぼ100%、仕事は量を少なくして細々とでも続けていけたら、と思っています。その「量を少なくして」というのが、難しいのですがね。依頼元のご要望に応えるのが仕事ですから、基本的にはこちらの都合で調整できないですよね。でも、私の依頼元(3社)は、私が育児で仕事に割ける時間が少ないことをご存知なので、融通は利きそうですが。
 すっごく疲れてるのに、仕事しなくちゃいけないときなんかは、仕事辞めようか・・・と気持ちがめげてしまいます。この連載を読んで下さっている方で、私と同じような境遇の方はいらっしゃいますか?何かよきアドバイスをお待ちしております!

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2007年7月1日
17.投資ファンドに買収されてたまるか!
 今、株主総会の時期で、各社が開催していますね。今回は、海外の投資ファンドが日本のメーカーに財力を武器に要求を突きつけるケースが多くあり、マスコミを賑わせているようです。結局は、投資ファンドの言い分は殆ど跳ね除けられたようです。私は、よかったよかった、と胸をなでおろしているところです。だって、モゾモゾたちが一生懸命モノづくりして人々に幸せを与えているのに、お金をこねくり回している人に余計なこと言ってほしくないですもの。

 私は、株式とか買収とか、お金儲けのことは疎いですが、そんな私の耳にも、TOBとか、M&Aとか、敵対的買収とか、専門用語が入ってくるような時代になりました。昔からこういうことはあったのでしょうが、なぜか最近メジャーになってきましたね。新聞に、三角買収の解禁により敵対的買収が増えた、みたいなことが書いてありましたが、なんのことだかさっぱり分かりません。とにかく、メーカー(だけではないが)が投資ファンドの食い物にされる時代が来たようです。
 偏見ですみませんが、私は、投資ファンドのような金儲けばっかりの会社はあまり好きではありません。銀行や証券会社は、一般人や企業の役にも立っているから、まだ許せるとしても、投資ファンドなんて、別になくたって誰も困らないじゃないですか。実態は知りませんが、お金をいろんなところから集めて運用してホクホクするのが仕事なんですよね? よっぽど賢くないとできませんね。
 私がこういうのを毛嫌いするのは、私にお金儲けの能力がないからかもしれません。元本が保証されない投資信託、外貨預金、株式売買など、怖くて手が出せません。投資家からしたら、バカみたいに、金利の超〜低い普通預金や定期預金しかできません。株も、最近は普通の人もやるようになったので、人に薦められて、株式売買のための口座を開いたこともありましたが、一回も取引をせずに閉めちゃいました。

 やっぱり、メーカーがいいですよ。特にモゾモゾ理系たちががんばってモノづくりしているメーカー。人に役立つものを作って、人に提供して、人の生活を豊かにする。これこそが美しい企業の形です!もちろん、いろんな業種の企業があって、世の中は成り立っているのですがね。でも、主観的に、私はメーカーが好きです。だからこそ、投資ファンドなんかにメーカーが買収されるみたいな話を聞くと、とても悲しくなるのです。
 ブルドッグソース等に買収を仕掛けているスティールパートナーズを、最近テレビとか新聞でよく目にしますね。「スティール」は、最初の投資先が鉄鋼株だったことに由来する、と、Wikipediaに書いてありましたが、最初聞いたときは、盗人かと思いましたよ。でも、stealのような「こそどろ」というよりは、robって感じですがね。リヒテンシュタイン代表が、会見で、「日本の企業を教育するためにやっている」みたいなことを言っていましたが、なーんですか、あの偉そうな上から目線は!あんたなんかに教えてくれなんて頼んでないよ、と言いたくなります。中には、こういう投資ファンドがものを言うことによって、企業は緊張感を持ってしっかりとした経営をするようになる、などと言う人もいますが、私に言わせれば、感情的と言われようが、「余計なお世話だ」と思ってしまいます。投資ファンドにモゾモゾのよさなんてわかるはずがない!

 これからも、私は、日本のメーカーを応援したいです。そして、投資ファンド等に買収されないことを祈っています。私自身も、投資などできないので、こつこつ特許翻訳をして、メーカーの知的財産権保護に影ながら役立てたらと思います。モゾモゾ君たち、これからもいいモノ作って下さいねー。

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2007年6月13日
16. 結婚は理系と!
 私事ですが、先月で結婚5周年を迎えました。思い返せば、私は若いころから結婚願望が強い割には、実が伴わなかったです。学生のころは、私は22歳で結婚したい!と思っていました。しかし、あてがあるわけでもなく、そのころアメリカなんぞに行っていたので、結婚は程遠いものでした。別にアメリカに行っていたって、結婚できる人はできるのでしょうが、私だって、アメリカで出会いがあってもいいかな、なんて思っていましたが、そんなものはさっぱりありませんでした。日本人の友達で、インターナショナルにモテる人もいたなか、私は蚊帳の外で、幸か不幸か、勉強する時間がいーっぱいありました・・・。  
 帰国後、だんだん焦ってきて、誰か私をもらってくれる人はいないかなあ、と、心配になってきました。しかし、ちっとも兆候はなく、週末はヒマで、独りで自転車を乗り回していたし、誕生日やクリスマスイブには、全く予定がなく、寂しく実家に帰ったりしてました(むなしい〜)。  

 さすがに、そろそろ何か手を打たないといけないな、と思い始め、格安の結婚相談所に登録をしました。格安だけあって、相手をコンピュータで検索などというシステムはなく、自分が希望の条件などを提示しておくと、スタッフのおばさまが適当に選んでくるという形式でした。私は、なんといっても、相手に求める第一条件は、「モゾモゾ理系人」であることだったので、メーカーの理系を強く希望しました。しかし、スタッフのおばさまは、私の「理系萌え」を理解してくれず、勝手に、銀行員を薦めてきました。一般的には、銀行員のほうが、給料も高く、相手として希望する女性が多いのかもしれませんが、私は、とにかく理系がいいのだ!という妙な信念を燃やし、その銀行員の方とは、ご縁がなかったことにしました。向こうこそ、私なんて御免だったでしょうけど。  
 こんな感じで、その結婚相談所も役に立たず、ちょっと値段が高いけど、もっと分母が大きくて、システムがしっかりしていそうなツヴァイに申し込もうかな、と思い、資料請求をしてみました。そしたら、本当に値段が高かったので、もう少し他の手段でがんばってみることにしました。  

 結局は、その結婚相談所やツヴァイのお世話にもならずに、無事理系と結婚できました!メーカーの理系は、世の中にたーくさんいるはずなのに、何でこんなに苦労したんだろう。まあ、結果的にカイコを一匹見つけ、そのカイコも無事「蛾」になったから、よかったよかった。前も書きましたが、カイコ(理系)は結婚すると蛾になるシステムとなっております。私が作ったシステムです。  
 今後結婚をお考えの女性は、カイコという選択肢はいかがですか?いい物件ありますよ。

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2007年5月28日
15.日本語会話での困難  
前から気になっていたのですが、日本語の会話には、基本的なところで困ることがあるのです。まず始めに、友達同士での挨拶の言葉がないのです。日本語の挨拶といえば、「こんにちは」ですが、友達同士という親しい間柄では、「こんにちは」と言うと、何だかよそよそしい感じがして、使うのをためらってしまいます。但し、朝の場合は、「おはよう」があるので、友達同士では、「おはよう」を使うことができます。しかし、昼や夜だと、「こんにちは」や「こんばんは」が使えないので、仕方なく、「ああ、○○ちゃん」とか、「おう」とか、「○○ちゃん、元気?」などと言って切り抜けます。私は、失礼にも、友達の名前を度忘れすることがあるので、そういうときは、挨拶ができなくて困ってしまいます。英語だと、”Hi.”とか、”Hi, how are you?”とか、”Hello.”とか、”What’s up?”とか、アメリカ人は使っていた気がするので、挨拶に困るということはなかったように思えます。日本語では、なぜ友達同士での挨拶がないのでしょう?皆さん、困っていたりしませんか?  

次に、日本語の会話では、相手を指す言葉がないのです。ないだと?何言ってんだ?とお思いですか?相手を指す日本語は、「あなた」ですが、友達や、近所の知り合いや、目上の人に、「あなた」を使うのは何だか変な感じがします。「あなた」は、奥様が旦那様に使うことがあるくらいで、普通の人間関係では、使えない気がします。友達同士で、冗談ぽく、「おまえ」を使うことはできるでしょうが。だから、相手を指す場合は、またもや「○○ちゃん」、「○○さん」というように、具体的な相手の名前を言わなければならないのです。名前を知らない間柄で話す場合は、とても困ってしまいます。例えば、美容院で、美容師さんに、「あなた」なんて使えなくて、でも、名前も知らなくて、「美容師さん」と言うと、今話している美容師さんを特定できないし、困ったものです。これは、二人称だけでなく、三人称でも、同様の問題があると思います。誰かのことについて相手と話すとき、「彼」とか「彼女」は、あまり使わず、「○○さん」を使うでしょう。英語では、もちろん、you、he、sheを使うことができるので、便利です。無理やり日本語で「あなた」や「彼」や「彼女」を使うと、なんだか英文和訳のようなぎこちない文になるのです。例えば、「今日景山さん見かけないね。よしみさんは、知らないって言ってたけど、みかちゃんは景山さんがどうしたか知ってる?」と言うのが普通であって、「あなたは彼女がどうしたか知ってる?」などというと、頭に”Do you know how she is today?”という英文が浮かんできます。  

更に、日本語の、「どういたしまして」は、あまり使えません。これは、個人差があると思いますが、私は、どうもこの言葉を使うことをためらってしまいます。なんだか、ややおこがましい感じがするのです。「どういたしまして」の言葉の実際の意味はよくわかりませんが、「私、あなたに親切したいい人です」っていう意味が込められていそうで・・・。「どういたしまして」を使っている方、こんなこと言ってすみません。なんか、英語の”You are welcome.”や”It’s my pleasure.”のような文化に分類される感じがするのです。日本語ならば、人に贈り物をあげるときに「つまらないものですが」と言ったり、「ありがとう」の代わりに「すみません」や「恐縮です」を使う謙虚さがあるほうがいいです。そうすると、私の場合、「どういたしまして」は、「いえいえ」とか「とんでもございません」になるのです。  

こんな感じで、私は、日本語の会話で、ごく基本的なところで困難を感じています。個人差、地域差、世代差など、あると思いますが、「あなた」の場合はどうですか?

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2007年5月17日
14. 海外旅行の難関  
皆さんは、海外旅行って、楽しめてますか?変な質問ですが、私は、楽しめるという境地に至るまで、少し時間がかかりました。  

初めて海外旅行に行ったのは、大学1年の夏。大学でマレーシア語を専攻していたので、マレーシアに行きました。観光名所に連れて行ってくれるツアー形式のものに、わけもわからず申し込んだのですが、知らない参加者たちと団体行動だし、行きたくもないお店で時間を費やさなければならないこともあったし、あまり楽しめませんでした。こういう形式が好きな方もたくさんいると思いますが、私には合いませんでした。でも、当時の世間知らずな私は、私がツアー形式で楽しめないということも、申し込む前に分かりませんでした。  
2度目は、大学2年の夏。ツール・ド・フランスというフランスの自転車レースが好きな友達と一緒に、このレースを見に、フランスに行きました。今度は、フリープランの旅行だったのですが、フリーはフリーで、自分で全部やらなければならないのです。海外旅行に不慣れな私は、海外旅行にふさわしい服装も、空港の使い方も、飛行機での過ごし方も、リコンファメーションも、何も分かりませんでした。もっと事前に勉強しておけばよかったのですが・・・。分からないことだらけで、いちいち緊張し、本来の観光やレース観戦を楽しむ余裕はありませんでした。  
その次は、旅行ではないですが、大学卒業後のアメリカ留学でした。飛行機に乗るのに不慣れなくせに、安い航空チケットを買ったので、2度も乗り継ぎをしなければならず、おまけに現地の空港に着いた時間が真夜中で、そこからホテルに電話をして迎えの車を呼ばなければならず、やっと部屋のカードキーをもらっても、キーの使い方がわからず、緊張しっぱなしで、部屋に入ったときには、疲労困憊でした。でも、緊張が解けずに、眠ることができませんでした。  

こんな感じで、このころまでの海外旅行は、ちっとも楽しめず、海外旅行なんて、難問の連続で、どこがいいんだ!と思っていました。というか、今でも、海外旅行に付き物の、空港、飛行機、ホテル等には、恐怖感というか、抵抗があります。だいたいですねー、空港とか飛行機ってのは、何であんなに難しくて怖いんですかねー。空港でのチェックインとか、荷物検査とか、飛行機内で、食事を選んだりとか、飲み物をタイミングよくもらったりとか、あんな難しいのに、『こういうことは、国際人として知ってて当然です』みたいな雰囲気が漂っていて、ややムカつきます。私は、留学前は、典型的な、受験英語しか知らない人間だったので、海外旅行中に英語を話すことは、とても怖かったです。特に、アメリカの航空会社やホテルのスタッフは、なんとなく不親切な人が多く(偏見でしょうか)、こっちがまともに英語を話さないと、怒られそうな感じで、これもムカつきます。こう思うのは私だけでしょうか?『知ってて当然です』の雰囲気のせいで、難しいとか怖いという思いを隠して、知ったかぶりしてやいませんか?  
でも、私が臆病なだけかもしれません。今や、多くの日本人が、普通に海外旅行や海外留学をしています。私は、このような方々を見て、本当に感心します。別に、英語が達者というわけでなくても、空港や飛行機での難関を簡単に乗り越え、入国審査のこわーい人の質問にもスムーズに答え、本来楽しむべきところをしっかりと楽しんで、日本に帰ってくるのです。いやー、お見事です。  

留学後は、旅行中に英語を話すことが前よりましになり、様々な国に旅行に行っています。でも、決して、あれらの難関に慣れたわけではありません。いつも怖いなあと思っています。皆さんはどうですか?本当に怖くないですか?ねーねー、慣れたフリしてませんか?・・・っと疑いながら、ビクビクしている私です。

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2007年4月26日
13.妊娠・出産体験記 その2  
しばらくはいじけていましたが、また気を取り直し、再び妊娠しました。今回は、安定期に入るまでは、絶対に誰にも言わないぞ、と決めていました。流産した人は、また流産するのではないか、という不安に苛まれるもので、妊娠した喜びよりも、流産するかもしれないという不安のほうが上回っていました。その不安を更に煽るかのように、また出血がありました。病院には、流産の可能性があると言われました。よく、流産は、無理をしたからなった、と言われますが、実は、殆どの流産は、妊婦のせいではなく、最初から育たない命だったことが原因のようです。私は、安静にしている以外、なすすべがなく、ただ不安な日々を過ごしました。出血は妊娠初期の間、ずっと止まりませんでした。  

妊娠初期の終わりごろ、出血が、子宮の中からではなくなり、ひとまずほっとしました。安定期に入っても、出血はありましたが、問題のないものだったので、徐々に前向きに考えることができるようになりました。そのうちに、出血も止まり、つわりも治まって、知人に妊娠を伝え始めました。翻訳の仕事もどんどんこなしました。これぞ安定期!妊娠生活が楽しめるようになりました。  
妊娠8ヶ月のころ、妊婦健診で、逆子になっていると言われました。そして、何ともツラい体勢の逆子体操をするよう指導され、毎日やる羽目になりました。こんな体操、効果あるのか?と疑ったり、逆子が直ったのに気づかずに体操を続けたら、また逆子に戻ってしまうのでは?と不安になったりしました。最後まで逆子のままだと、自然分娩に危険が伴うので、帝王切開になることが多いのです。なるべくなら自然分娩がよいなあ、と思い、渋々逆子体操を続けました。その甲斐あってか、次の健診のときに、逆子が直っていました。  
よかったよかった、もう逆子体操をしなくて済む、と思っていたのもつかの間、また逆子になったのです。結局お腹の中の子は、3回転したのでした。結局、臨月の最初の健診で、逆子と診断され、二週間後に帝王切開をすることになってしまいました。帝王切開の予定日は、出産予定日の二週間も前だったので、心の準備ができていませんでした。また、帝王切開のリスク(輸血した場合の感染症、血栓症等の可能性)を医師から聞いて、やっぱり開腹手術なんだなあ、と恐ろしくなりました。でも、何とか気持ちを切り替えて、帝王切開なら陣痛の苦しみもないし、健康保険も効くし、と自分に言い聞かせました。  

3月6日に入院し、二日後の8日の帝王切開を待つことになりました。そうしたら、前日の7日に、胎児の心拍と妊婦の子宮の収縮を監視する分娩監視装置で、お腹の中を確認したら、子宮の収縮の際、胎児の心拍が一時的に弱くなる、と診断され、新たな心配事を抱えることになりました。でも、次の日に帝王切開で赤ちゃんを出してしまえば、心拍低下の問題も解決されるわけです。  
3月8日、手術当日の朝、私は、超音波検査で逆子であることを再度確認してから手術を施行すると思っていたのですが、そのまま手術の準備が進められようとしていたので、自ら、超音波検査をしてもらうように申し出ました。あくまでも、逆子であるから帝王切開をするわけですから。すると、何と、超音波検査の画像を見ると、逆子が直っていたのでした。本当によく回る子です。そして、帝王切開は中止となりました。  
しかし、帝王切開中止を告げられた瞬間に、では、胎児心拍低下の問題はどうなるのか?と非常に心配になりました。医師は、自然分娩の方向で、陣痛が来るのを待つが、心拍低下の問題があるので、このまま入院を続け、分娩監視装置で監視し、心拍低下が著しい場合は、緊急帝王切開もありうる、と言いました。私は、自分を責め始めました。私が、超音波検査など申し出なければ、そのまま帝王切開で、子供は無事に生まれていたのに、変に逆子を確認するなどと筋を通してしまったがために、心拍低下の問題を引きずることになってしまった・・・。もし、これで、心拍が著しく低下して、子供が死んでしまったりしたら、悔やんでも悔やみきれない・・・。  
夫も両親も、同じように悩み、心配しました。私は、自分が超音波検査を申し出たことを後悔していましたが、なぜ申し出ない限り手術当日に超音波検査をしないのだろう、という疑問も持っていました。そして、主治医と話をして、以下のことが分かりました。『まず、逆子による帝王切開は、入院の日の超音波検査による確認で最終決定される。そのように、どこかで決定の時期を区切らないと、いつまでも超音波検査をしなければならなくなる。入院の日に逆子なのに、手術の日に逆子が直っているケースは非常に稀なことである。また、帝王切開のための麻酔をした後、胎児の向きを確認するために、超音波検査をする。そのときに逆子が直っていたら、本人に、このまま帝王切開をするか、中止するか、選択をさせる。』だから、私がそのまま帝王切開を受けるように事が進められていたとしても、逆子が直っていることは、手術前に知らされていたわけです。その場合に、どちらの選択をしたかは、わかりませんが、とにかく、私が朝に超音波検査を申し出たことは、間違っていなかったと思います。主治医は、常に胎児の様子を監視して、必ず無事に出産できるよう、万全の体制をとるから、悩まないで下さい、と励ましてくれました。私も、家族も、自然分娩に向けて前向きになることができました。もう、陣痛でも、緊急帝王切開でも、何でも来い!  

監視装置による胎児の監視のために、その後も入院を続けました。監視装置を着けるとき以外は暇なので、退屈で、早く陣痛が来てほしいと思うようになりました。そして、3月19日早朝、痛みを伴う規則的な陣痛が始まり、陣痛の間隔がどんどん短くなり、痛みが強くなっていきました。分娩室に入る直前からは、この世のものとも思えないほどの痛みとなりました。分娩室に入って、痛くてたまらなくて、一時停止でもできないかな、と無駄なことを考えました。そして、この痛みを止めるには、そうだ、産むしかない、と思い、渾身の力を振り絞りました。3月19日午後1時38分、元気な産声と共に、男の子が誕生しました。  
結局、陣痛が強くなっても、胎児の心拍は低下せず、自然分娩をすることができました。主治医は、この子は本番に強い子だね、と言ってくれました。主治医と助産師が「ほら生まれたよ」と言って子供を見せてくれたとき、『うわー人間出てきちゃったよ。恐るべし哺乳類!』と思いました。こうして、一大事業を成し遂げたのでした。  
その夕方、初めて授乳をしたとき、思わず涙がこぼれました。これまでの色々な思いや、無事出産した感動などが、涙となって表れたのでしょう。  

現在は、出産の疲れも取れてきて、育児に奮闘中です。妊娠・出産は終わりましたが、子供の人生は、始まったばかりです。育児も、妊娠・出産と同様、意のままにならないことばかりだと思いますが、子供を授かったことに感謝し、一生懸命子育てしたいと思います。願わくば、モゾモゾ君になるといいな。でも、そんな贅沢言わないほうがいいかな。育児と翻訳の仕事を両立できるように、工夫していけたらと思います。

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2007年4月11日
12.妊娠・出産体験記 その1
 突然ですが、先日、3月19日に、男の子を出産しました。翻訳の仕事は、2月末までぎりぎりいっぱいやっていましたが、出産・育児のために、3月から5月まではお休みを頂いています。6月から復帰を予定しており、育児と在宅翻訳の両立を目指しています。  
子供は無事に生まれ、母子共に健康です。しかし、ここまで来るまでに、自分なりに色々な苦難がありました。今までの人生では、受験、就職、結婚などの一大イベントは、自分の努力や周囲の協力などで、何とかこなすことができましたが、子供を授かるということは、本当に、自分ではどうにもできないことなのだと、つくづく思いました。今回と次回の連載で、私の妊娠・出産の体験を綴りたいと思います。読者の皆様にも、妊娠・出産が意のままにならないということを、共感して頂ければ幸いです。  

結婚してしばらくは、夫と旅行などを楽しみたいし、仕事も経験を積みたかったので、子供はまだいいや、と思っていました。出産は若いうちにしたほうがよいというのは、理論的には分かっていましたが、まだまだそんな気になれませんでした。しかし、三十路もとっくに過ぎ、そろそろ動き出さないと、まずいかなー、と思い始め、2006年戌年に出産しよう、と計画しました。ところが、計画通りにはいかず、なかなか妊娠しないのです。ついこの間まで、子供はまだいいやと思っていたのに、いざ妊娠しようとしてもできないと、焦ってしまうのだから、勝手なものです。今まで何とも思わなかった、友達からの、子供の写真付きの年賀状にも、羨望と焦りを感じるようになりました。  
それでも、やっと妊娠したのでした。しかし、不正出血があり、病院に行くと、切迫流産と診断されました。「切迫流産」!なんて恐ろしい響きなんだろう。流産の恐れがあるので、自宅で安静にしているように言われ、仕事に行かれなくなりました。そのまま通いの仕事は辞め、在宅で翻訳の仕事を請けるようになりました。実は、私の「おうちでホンヤク」生活は、こんな形で始まったのでした。その後、出血もおさまり、出産予定日は2006年11月ということで、予定通り戌年に出産できると思い、知人に妊娠のお知らせをしました。しかし、その直ぐ後に、病院に行くと、胎児の心拍が止まっていることが分かりました。恐れていた流産をしてしまったのです。せっかく妊娠できたのに・・・知人にも知らせたのに・・・夫や両親は悲しむだろう・・・私は子供に恵まれないのだろうか、駄目な人間だ・・・。色々な思いが頭の中を渦巻いて、絶望的な気持ちになりました。  
子宮の中をきれいにするために、掻爬手術を受けることになりました。手術なんて生まれて初めてで、麻酔をするとはいっても、一体私はどうなってしまうのだろう。そんな不安と恐怖からか、手術直前に気絶してしまいました。気がつくと、看護師さんたちが私を取り囲んで、「景山さん!景山さん!」と叫んでいました。何とか無事に手術は終わりましたが、それから数日間は、毎日泣いて過ごしました。親や知人にも、流産したことを知らせなくてはならなかったのは、とても辛いことでした。流産がこんなに辛く悲しいものだとは知りませんでした。そんな中、夫は常に私の傍にいて同じ気持ちになってくれたし、知人も一緒になって悲しんで励ましてくれました。それでも、心の傷は想像以上に大きく、「流産」という二文字は、口に出すのもためらうほどでした。

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2007年3月14日
11.「景山」と「影山」
 私は、結婚後、「景山」という苗字になったわけですが、意外にも、これを「影山」と間違って書かれることが非常に多いのです。自分自身は、もちろん、自分の苗字だから、「景山」と「影山」は、全く違った雰囲気に見えるのですが、普通の人から見ると、どちらでもいいじゃないかと思うのか、しょっちゅう私は「影山」さんにされるのです。  
口頭や電話越しで「かげやま」です、と言えば、ほぼ間違いなく「影山」になるのは仕方ないとしますが、メールで「景山」です、と書いても、返信のときには、「影山」になっていることが多いのです。知り合いでも、未だに間違える人がいるので、もう、諦めていて、この頃は訂正もしなくなりました。  
それでも、大事な書類などで、間違えられると、訂正せざるを得ず、面倒な思いをすることがあります。結婚後、転職して、保険証を作った際、保険証で「影山」となっていました。これは、さすがに放置しておけないので、直ぐに作り直してもらいました。病院で診察券を作った際も「影山」でした。最近では、確定申告のために、2つの特許事務所に支払調書という、源泉徴収票のようなものを作ってもらったら、見事に2打数2安打で、「影山」になっていました。そのうちの1つは、「影山未緒」となっていて、これ誰?と思ってしまいました(本当は、景山美緒です)。  

まあ、大したことではないので、間違えられるのが当然だ、と思うようにしていますが、私が特許事務所に勤めていたころは、人や会社の名前などに間違いがないように、神経を使うように指導されました。特許事務所では、特許出願のための願書や、発明者が会社に発明の権利を譲渡するための譲渡証など、大切な書類に、発明者や会社名を一字一句間違えずに正確に書く必要がありました。「景」と「影」のような違いはもちろんのこと、「エンタテイメント」と「エンタテインメント」、また、ローマ字表記の「ko」と「kou」と「koh」など、一字でも間違いは許されません。私がいた特許事務所では、間違いをしないために、書類を作成したら、同僚と「読み合わせ」という作業を行い、文字の間違いがないか、入念にチェックしていました。とても有効な作業だったと思っています。  
このような、正確性に気を遣う心構えは、特許翻訳でもとても大切だと思います。特許書類は、出願人の大事な権利獲得のための書類ですから、翻訳も、文字の正確性はもちろんのこと、抜けや不要な内容があってはならないし、解釈も間違ってはいけません。在宅翻訳者は、ひとりで作業を行うので、思い込みをしないように、気をつけなくては、と常に注意しているつもりです。そういえば、あまり関係ないですが、ワープロソフトの文字変換には、拍子抜けすることが多いですね。特許請求項の和訳で、「前記」と、何回も使っているのに、時々「前期」になったり、「上記」が「蒸気」になったり、ちっとも覚えてくれないです。単語登録をしても、他の文字と組み合わさると、間違ったりします。文字変換にも、注意する必要がありますね。  
特許翻訳の原稿の間違いも、特許事務所に対して指摘するようにしています。符号の間違いとか、細かいところを指摘していると、なんだか自分がすごく性格悪いヤツになった感じですが、よりよい特許にするためには、必要なことだと思って、指摘させて頂いています。  

「景山」を「影山」と間違えられる人生は、今後も続き、最期の墓石まで、「影山」と彫られ、「影」の右側の三本線をあとから埋めて、ちょっと左寄りの文字配列の墓石になりそうですが、まあ、気にしない、気にしない。

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2007年2月24日
10.青色申告
 この間、初めて青色申告をしてきました。昨年3月からフリーランスになったので、今年からは、個人事業主として、確定申告をしなければならないのです。フリーランスになる前は、税金のことなどよく分からず、勝手に給料から税金が源泉徴収されているなー、と思っていたくらいでした。フリーランスになる際に、既にフリーで働いている方々に、その辺のところを色々聞いてみると、様々な届出や手続きが必要であることがわかりました。  

まず、個人事業を始めるにあたって、税務署に「個人事業の開廃業等届出書」という書類を提出します。いわゆる、開業しますから、税金も自分で払います、と宣言するようなものです。同時に、「所得税の青色申告承認申請書」という書類も提出します。これによって、白色ではなく、青色申告します、と宣言します。青色と白色の違いは、白色は、日々のお金の流れを帳簿などに付けないで、どんぶり勘定で確定申告してよい代わりに、控除がないのですが、青色は、簡易簿記又は複式簿記を付けて、期末に青色申告決算書(いわゆる、損益計算書と貸借対照表)を作成して確定申告する代わりに、10万円又は65万円を課税対象額から控除できる、という違いです。  
個人事業主は、このほかに、国民年金や国民健康保険を自分で払わなくてはならないし、住民税も1年分まとめて請求されます(これが手強そう)。つまり、社長兼経理兼営業兼翻訳みたいな立場なわけです。  
私は、簿記など全く知らなかったのですが、知人の薦めもあって、青色申告をすることにしました。控除が魅力だったからです。私は、巧妙な税務処理など、とてもできないので、せめてもの節税対策として、帳簿を付けると共に領収書を保存して、経費をきちんと計上できるようにしておきました。事業に関係してかかった費用を、経費としておけば、この金額を課税対象額から控除できるのです。あ、そんなこと、誰でも知ってるか。  
先程の「所得税の青色申告承認申請書」を提出すると、税務署や地元の青色申告会から、記帳方法や申告方法の説明会の案内が来て、それに出席することで、簿記のことや課税の仕組みなどが分かるようになってきます。私は、集団や個別の説明会に積極的に参加して、これらを色々学びました。無料でずいぶん親切に教えてくれるなあ、と思いましたが、だってたんまり税金払うんだから、それくらい教えてくれるはずですよね・・・。  
それでも、複式簿記というのは、どうも難しそうで、とても理解できなさそうだと最初から思っていたので、私は、青色申告といっても、簡易簿記を付けて10万円だけ控除してもらおうと思っていました。ところが、今年1月に、青色申告前の最後の説明会で、税理士さんに、私の帳簿を見せたら、「これだけきちんと付けているなら、もう少しがんばって複式簿記を付けて、ぜひ65万円控除をうけるべきですよ」と言われました。この言葉になんだか嬉しくなって、ついやる気になってしまい、翌日会計ソフトを購入して、複式簿記を付けることにしました。  
結局、その購入した会計ソフトは、使いにくく、もっと使いやすい会計ソフトをインターネットからダウンロードして(その説明の本のみ購入すればよい)、苦心した結果、複式簿記を付けることができ、めでたく、青色申告決算書の貸借対照表のページを埋めることができました(10万円控除の場合は、貸借対照表を作成する必要はないのです)!  
そして、先日、65万円控除が受けられる青色申告決算書を添付して、確定申告書を税務署に提出したのでした。  

私の場合は、というか、フリーの特許翻訳者は大抵そうだと思いますが、翻訳の報酬を会社や特許事務所から頂く際に、売上の10%を所得税の前払いとして源泉徴収されています。実際は、売上から経費、65万円の控除、社会保険料控除、基礎控除、定率減税などを差し引いた金額に所得税が課税されるので、10%源泉徴収されていた私の場合は、確定申告をすることにより、払いすぎた税金が還付されます。わーい、お金くれるんだ!と喜びたいのですが、たっぷり源泉徴収されていたのだから、還付されて当然なだけなのです。そして、5月ごろには、今回の申告を元に、多額の住民税の請求書が来るそうです。税金って高いなあ・・・。  

個人事業主になると、確定申告を始めとして、難しいことが色々ありますが、税務や簿記の世界に首を突っ込むことができて、結構楽しいです。今年もしっかり帳簿を付けていこうと思います。

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2007年2月11日
9.都会生活の思い出
 私は、今、東京の外れに住んでいますが、今までの人生の中で一番「都会」な生活を送ったのは、独身時代に渋谷区に住んでいたころです。就職して1年ちょっと経ったころ、実家から勤務先まで通っていた私は、そろそろ一人暮らしがしたいなあと思い、憧れの都心に住むことになりました。家電や家具を買い揃えて、好きなようにインテリアを考えるのはとても楽しかったです。音が響きにくい部屋だったし、同居している人もいないので、気兼ねなくいつでもドライヤーを使ったり、電話をかけたりすることができて、自由な一人暮らしを満喫しました。  

立地はとても便利なところでした。まず、電話番号が東京03なのが、妙にうれしかったです。渋谷や代官山に歩いていくことができ、まさに、シティーギャルの気分でした。会社は虎ノ門だったので、たまに自転車で通勤したりもしました。六本木通りをひたすら30分、青山、六本木、赤坂あたりを駆け抜けていくのは快感でした。週末には、自転車で色々な場所を巡りました。銀座方面、世田谷方面、新宿方面などなど。それでも一番遠くて天王洲アイルだったかな。天王洲アイルに着いたころには薄暗く、中学生か高校生くらいの男の子たちがたくさん集まっていてちょっと怖くなり、到着の喜びに浸る暇もなく帰った記憶があります。  

都心を自転車で巡るのは、パッチワークをはめていくようでおもしろかったです。個々の駅周辺は、電車や地下鉄で行ったことがあるので知っていますが、駅と駅の間や、自転車でしか行かれないところは、未知の土地です。そこを走っていると、不意に、知った駅に着いて、「ああーこう繋がっていたんだ」と感動します。そうやって、徐々に都心の地図のジグソーパズルが私の頭の中で出来上がっていくのです。  

結局、渋谷には、4年ほど住みました。都会生活を満喫し、このくらいの期間でちょうどよかったかなと思っています。やはり、都会ならではの欠点もありました。布団を干そうと、ベランダの桟を雑巾で拭くと、真っ黒になるのです。排気ガス等による大気汚染です。しかも、六本木通りを自転車で走っていたんだから、汚い空気をどれだけ吸っただろう・・・というのは、考えないようにしよう。また、治安もあまりよくなかったようです。幸い私は、空き巣に入られることも通り魔に会うこともなかったですが、そんな話を近くで聞きました。  

今は、東京の外れに引っ込み、特に在宅勤務になってからは、自宅周辺にこもりがちで、都心に出ることも少なくなりました。すっかり田舎者になりました。まあでも、今後どこかに家を買いたいなと思いますが、渋谷みたいな大都会ではなく(というか、高すぎて買えないし)、郊外に住み、ちょっと都心に行きたいなと思えば、電車や車で行けるような生活がいいかなと思っています。そんな家が買えるように、せっせと翻訳をしてお金を貯めようっと。

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2007年1月25日
8.影の仕事
私は、今、翻訳の仕事をしていますが、もし、この仕事以外だったら、何をしてみたいか?と考えることがあります。もちろん、本気ではなく、単なる空想ですが。そもそも、小さいころは、将来何になりたいと考えていたのだっけ。幼稚園や小学校のころは、よく学校で、将来の夢や目標を書かされる機会がありましたが、その中でいくつか覚えているものがあります。

まず、幼稚園のころ、「タイムショックに出て全問正解する」という夢を書きました。幼稚園生なら、もう少し夢があったり、華やかであったりすればよいのに、妙に具体的で女の子らしくない夢を書いたものだなあ、と、自分でもちょっとあきれてしまいます。それにしても、実際は、クイズに全問正解するほどまんべんなく知識を持つようになったわけでもなく、この幼稚園のころの夢は、果たされることがないでしょう・・・。

それから、小学校1年か2年のころの、夏休みの目標として、「でんしれんじに手がとどくようになる」と書きました。これまた勉強でもスポーツでもない、実にくだらない目標です。それに、でんしれんじ(電子レンジ)がどれくらいの高さだったか忘れましたが、夏休みのうちに急に背が高くなるわけでもなく、この目標設定の意図が不明です。でも、今では、余裕で電子レンジに手が届くようになり、めでたく目標を達成しました!

とまあ、小さいころは、なんとなく的外れな夢や目標を立てていたようですが、大きくなってからは、実際に存在する仕事の中から、やりたいなと思うものをいくつか探し出すようになりました。超天才や絶世の美女しかできないような非現実的な仕事は除き、思い描いた中に、「声優」がありました。私は、少女アニメのヒロインのような声を出すことができます。これは、高校のころからできるようになりました。自慢じゃないけど結構うまいのですよ。「声だけヒロイン」の副業でもできないかな、と、甘い考えで企てたこともありました。

また、「着ぐるみを着て踊る人」もやってみたいと思いました。ディズニーランドなどで着ぐるみを着ている人は、トップダンサーの方々なので、そう簡単になれそうもないですが、もう少しほのぼのとした着ぐるみダンサーなんて、やってみたいです。だからといって、ただ立って、子供と写真を撮ったり、握手したりするのではなく、それなりに踊って、みんなから注目されて、「中身は男か女か?」とか、「軽々しく踊ってるけど、重くて暑いんじゃないか?」とか、あれこれ想像してもらいたいです。

こんな風に、いろいろ思い描きましたが、実際にそれらになれるほどの能力はなく、結局翻訳者になったわけです。しかし、「声優」と「着ぐるみダンサー」と「翻訳者」には、共通点があることに気づきました。それは、「影の仕事」ということです。周りの人には、仕事の結果だけが見えて、本体は謎に包まれています。目立たないようでいて、存在感を密かにアピールしています。また、周りの人が、実際に本体に会ったとき、「えっ!もっと○○かと思っていた」とギャップを感じ、それが本体にとってまた楽しかったりします(声優や着ぐるみダンサーの場合は、ギャップでがっかりされると思うので、ちょっと悲しいか)。翻訳者は、このように、ミスターXみたいな気分になれる仕事なのです。もちろん、顔が見えないから、仕事はいい加減でよい、などと考えてはいけません。いい翻訳だな、どんな人が訳したんだろう?くらい、思われるように、今日も影の仕事に精を出そうと思います。

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2007年1月11日
7.文化理解って難しい
新年明けましておめでとうございます。今年も連載を続けますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

さて、去年の流行語大賞に、「品格」という言葉があったと思います。これは、数学者の藤原正彦氏の著書「国家の品格」がベストセラーになったことから選ばれたものと思いますが、私も、この本に感銘を受けた一人です。私は、普段あまり本を読まないほうですし、面白いと聞いて読んでも、飽きてしまったり、理解できなかったりすることが多いのですが、この本は別でした。読んでから、ベストセラーになったことを知って、私も人並みの感性を持っていたのかな、と、変なところで嬉しくなったりしました。

多くの人がそうだと思いますが、自分の生まれ育った国(文化)には、やはり愛着を持ちますよね。私も、日本が好きで、特に、アメリカに留学してみて、一層日本が好きになりました。もちろん、日本には、たくさんの問題がありますが、そんな客観性は置いておいて、無条件に好きなのです。「国家の品格」も、このような日本好きの精神(別に国粋主義ではないですが)がベースにあるのではないかと思います。この本の中で、一番印象に残った一節は、あるアメリカ人の教授が、著者の家を訪問した際に、虫の声を聞いて、「あのノイズは何だ」と言い、著者は、「なんでこんな奴らに戦争で負けたんだろう」と思った、という部分です。つまり、このアメリカ人には、日本人の「もののあわれ」という情緒が理解できなかったわけです。これを読んで、私は、アメリカ留学時のある体験を思い出しました。

私は、アメリカで、英語教育学を専攻していて、その一環として、アメリカ人の学部生たちに日本の文化を伝えるという実習授業のようなものを行いました。授業の中で、教授(この方は、日本人女性と結婚していて、日本に理解が深いアメリカ人)が、日本を紹介するビデオを学生たちに見せました。それは、私の留学当時(96〜97年)でも、少し古めだと感じるビデオでしたが、大学受験戦争のあげくに大学入学後は飲み会三昧で勉強をしない日本人学生たちを映し出したものでした。確かにそれは、現実であり、否定できないものでした。それを見たアメリカ人学生たちは、「日本はなんてひどい国だ」と言わんばかりの不快な表情を見せました。その後、私が、様々な日本文化を説明しても、変だ、かわいそうだ、理解できない、といった表情を見せ、それでも最後に私が、「でも、私は日本が好きだし、早く日本に帰りたい」と言ったら、彼らは、えーっ何でそう思うの?アメリカのほうがいい国なのに、という表情で私を見ていました。まったく、アメリカ人は、アメリカが世界一だと思い込んでるんだから。

私は、そのビデオは、確かに本当だと思いながらも、なんだか悔しい気持ちになり、日本の学生全員がこんなじゃないし、悪く映しすぎだ、と、日本を悪く思われることに悲しくなりました。だからといって、どう説明したら、私の思う大好きな日本を伝えられるのか分からなかったし、彼らがなぜ日本のよさを理解できないかも、直感的にしか分かりませんでした。異文化理解って、難しい、と思いました。

しかし、「国家の品格」は、私がアメリカ人学生に言いたかったことを、明確に書いてくれている気がしました。さすが、頭のいい人は、考えを論理的に、明確に、文章化できるのだなあ、と思いました。私などでは、アメリカ人に、この本に書いてあることを、うまく伝えられないのです。

アメリカ人に、虫の声について「あのノイズは何だ」と言われたら、私は、何も言い返せません。そして、どうせアメリカ人なんかにもののあわれなんて分かる訳ない!と諦めてしまいます。私は、アメリカ生活は、正直言ってなじめず、アメリカ文化を好きになれず、早く日本に帰りたい、と思っていました。周りの日本人の友達の中には、アメリカが大好きになり、アメリカ人とつきあったりする人もいました。そんなこと、私には信じられないことでした(まあ、つきあえるかどうかは、文化理解以前の問題だと思うが)。結局、どうせ理解しあえないよね、という諦めた気持ちで終わってしまった気がします。帰国後も、「アメリカ人に“せんべい布団”なんて、分かるはずがない!rice cracker mattressなんて訳したら、せんべい布団のコミカルさや粋が表現できないじゃないか。」と、半ばいじけ気味です。

でも、「国家の品格」を読んで、まずは、自分が、日本のことを理解し、日本に誇りを持ち続けることが大切なんだ、と再認識しました。また、この本に書いてある言葉を借用してもいいから、諦めずに、少しずつ、アメリカ人(及びその他の国の人々)に日本文化を説明していくべきなんだ、と思いました。更に、自分だって、アメリカ文化を理解しようとしてないわけだから、アメリカ人ばかり批判できないです。文化相対主義と言われるように、互いの立場に立って相手の文化に興味を示し、理解することが必要なのだと思います。

それでも、文化理解は、そう簡単ではないと思います。世の中の政治的、宗教的、民族的対立が、その難しさを表しています。私個人は、そんな世界平和のような大それた事を何とかしよう、とまでは考えられないですが、小さなところから、文化理解を意識して生きていきたいと思います。留学で経験したことや、「国家の品格」に書いてあったことを、自分の身の回りの人間関係に、生かしていけばいいのだと思います。身の回りの人間関係だって、文化理解のひとつです。相手は、自分とは違うのだ、と思うだけでも、少し余裕を持って、関係を保てるのではないかと思います。

なんだか、アメリカと日本の文化理解という大きな話だったのが、結局、身の回りの人間関係というこぢんまりした話になってしまいましたが、まあ、私ができることからやっていけばいいのだと思います。とにかく、「国家の品格」はお薦めです。著者は理系ですしね。やっぱ、理系っていいなあ〜。

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2006年12月27日
6.理想のモゾモゾ理系像
 最近のニュースで、ファイル交換ソフト「ウィニー」の開発者が有罪になった、というのがありましたが、これを聞いて、私は、とても残念でした。なぜなら、あの開発者こそ、私が理想とするモゾモゾ理系のうちの一人だからです。こんなことを言うと、ふざけているように聞こえますが、客観的に見ても、今回の有罪というのは、不当なもので、モノを作り出す技術者、開発者への冒涜とさえ言えます!! どんなものを作ったって、悪く使う人がいるわけですから。包丁で殺人した人がいたら、包丁を作った人が悪いのか!? じゃあ、銃は? 核は? メールだって、インターネットだって、詐欺に満ちているではないか。

 とまあ、私がひとりで騒いでも、所詮、理系好きのたわごとになってしまうのですが・・・。というわけで、ウィニー開発者を一例として、私が理想とするモゾモゾ理系について、詳しく掘り下げていこうと思います(やっぱりふざけている?)。

 まず最初のポイントは、見た目と行動です。理系ならやっぱり、チェックのシャツに、リュックを背負って、メガネをかけているスタイルがいいですね。小奇麗にしていることは大事ですが、別におしゃれにしなくていいです。リュックには、無意味にいろいろ入っていて、基板なんか出てくるとかなり萌えです。ちなみに、私は、よく電機メーカーの技術者が着ている、会社名が胸元に入ったあの作業着が大好きです。首からぶら下げている名札も、理系の人がやると萌えです。そして、やや挙動不審気味(いわゆる、モゾモゾ)に動き、周りを見ていないようでいて、しっかり観察している。やはりモノを作る人は、観察眼が鋭くないと! 別に処世術はうまくなくていいのですが、自分の専門分野の話になると、専門用語をちりばめて、得意げに話してくれるといいです。

 そして、一口に理系と言っても、機械、電気、ソフト、化学等、実に様々な分野があるのですが、その中でも、私の好みの分野があります。機械→電気→ソフトという軸においては、扱うものが、目に見えるものからだんだん目に見えないものになっていきますが、私は、ソフト寄りの電気、くらいの位置が好みです。つまり、電気図面をCADで描いたりできる上に、プログラミングもたしなみがある、なんて、素敵です。こういうことを、一生懸命習得するのではなく、興味があるのでやっていたらできるようになった、という人こそ、本物の理系だと思います。

 更に、親切で謙虚で品のある理系がいいです。逆に言えば、理系には、そういう人が多いと思います。だから、理系の人がたくさんいる場所は、平和でいいです。前にお話した、カイコ部屋がよい例です。また、秋葉原も素晴らしい街ですね。ただ、秋葉原は、近年、理系の街というよりは、鉄道、アニメ、フィギュア、メイドカフェ等、オタクの街になってきていますね。私は、必ずしもこのようなオタク趣味には、それほど萌えと思わないですが、私が好む理系の人の趣味と、これらのオタク趣味は、概して相関性が高い傾向にあるようです。ただし、オタク趣味のみ持っていて、理系でない場合は、私にとって萌えになりません。まあ、オタクの方々は、私に何と思われようと、関係ないでしょうが。しかしやはり、秋葉原といえば、オタク趣味よりも、電子部品の店がいいですね。抵抗を買いに秋葉原に来ました、なんて、カッコいい!

 私の好みのモゾモゾ理系像がお分かりいただけたでしょうか? 調子に乗って、不思議な世界にどんどん入り込んでしまいました。理系って本当にいいですね。理系は世の中を豊かにし、幸せにしてくれるのです。だから、ウィニー開発者を有罪にするなんて、とんでもない。日本の司法がこんなだったなんて、ああ情けない。もっと理系のよさを分かって下さいよー。

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2006年12月11日
5.ヒマならネズミを増やそう
 フリーランスになって10ヶ月目になり、割と安定して仕事が来るようになりました。特に、今月は、仕事がたくさん降って来て、勝手に「冬のボーナスだ!」と喜びながら、仕事をこなす毎日です。翻訳は私にとって楽しいので、仕事が多いときに週末や夜にも仕事することも、苦にはなりません。  しかし、これまでには、仕事があまり来なくて、ヒマを持て余した日々もありました。私は、以前勤務していた会社(A社)から、直接お仕事がもらえることになって、フリーになったのですが、その会社からコンスタントに仕事が来るとは限らず、1件納品すると、しばらく音沙汰がないなどということがたまにありました。そういうときは、1日でも仕事がない日が苦痛でなりませんでした。私って、趣味とかないんだっけ??と、仕事がないと何もやることがない自分に驚きました。
 まあ、それでも、なんとか時を過ごさないといけないので、まずは、家の中の整理を始めました。今までは、勤めに出ていて家にいる時間が少なかったので、家の中をもっと素敵に便利にしよう、などと考えることがなかったのですが、ヒマになって、家の中を見てみると、「ここを直したら、もっと便利になる」など、今までには思いつきもしなかったことをやってみたくなってきました。そこで、毎日、お店に行って物を買ってきたり、部屋の模様替えをしたりしました。しかし、そんなことも、数日も経てば満足してしまい、「あーヒマだなー。私は社会とつながりのない、不必要な人間なんだ・・・」などと、贅沢な落ち込み方をしていました。
 すると、今度は、仕事をくれる会社を増やそうと思いました。まず、A社と関係のある特許事務所を紹介してもらいました。A社に勤めているときに、私も、それらの特許事務所とお仕事をしたことがあったので、すんなり話が運びました。それでも飽き足らず、自分で、在宅翻訳者を募集している会社や特許事務所を見つけ出し、仕事を増やしていきました。日を追うごとに、仕事を見つけてくる私を見て、夫は、「ネコがネズミをつかまえてきてるみたいだね」と言っていました。
 こうして、今は、小ネズミ、中ネズミ、大ネズミなど、たくさんのネズミをつかまえるようになりました。フリーになると、個人事業主という立場になるので、安定した収入は保証されず、仕事を取るにも自分で営業する必要があります。しかし、実力が認められて、信頼を得られれば、どんどん仕事を増やすことができるし、結構儲かります!!今後、いろいろ家庭の環境が変わっても、柔軟に続けていける仕事だと思います。文系女性のなかで、英語力があるのに会社でそれを生かしきれていないと思う方、結婚や出産しても仕事を続けていきたい方、儲けたい方などは、在宅特許翻訳という選択肢も、考えてみるといいかもしれません。あ、「理系萌え」だとなおよいです!

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2006年11月24日
4.語学系大学比較文化研究

語学系の大学は、全国にいくつかありますが、私の中では、独断と偏見に基づき、かなり乱暴ですが、大きく2種類に分けています。1つは、英語で常に物事を考えていそうな帰国子女の多い英語ペラペラ系大学(とかくミッション系)で、もう1つは、とても勤勉で地味な言語オタクが多い言語オタク系大学です。関東の大学で言うと、前者の代表例は、上智(もちろん語学系以外の学部もありますが)、ICUで、後者の代表例は、我が母校である東京外大です。私の性質からして、言語オタク系大学の選択は正しかったなあとつくづく思っています。

私の大学は、世界の様々な言語の学科に分かれており、学生は、自分が専攻した言語を習得すると共にその言語が話されている地域の地域研究をします。英語圏からの帰国子女は、もう英語はできるから、ということで、別の言語の学科に入ったり、留学又は親の転勤等の理由でどこかの外国に住んでいた人は、その言語を更に極めたい、ということで、その言語の学科に入ったりします。とにかく、みんな自分が専攻した言語とその地域にのめりこみ、長期間その地域に入り浸って、すっかりその土地の人っぽくなって帰ってきたり、構内で民族衣装を着てその言語を流暢に話していたりして、たいしたハマりようです。ペルシャ語学科の私の友人は、イランに留学したなど、あまり一般的な留学先ではないところに行く話も、当たり前のように聞きます。各学科は、人の性質も雰囲気も、その地域そのもののようになり、学科の教室に行くと、まるでその地域に行ったかのように錯覚するほどです。例えば、中国語学科の教室に行くと、我が大学には珍しく男子学生が多く、みんな声が大きそうです。私は、マレーシア語学科だったのですが、南国らしく、みんなのんびりマイペースで、華僑に圧倒されそうな感じでした。

一方で、英語ペラペラ系大学では、みんな日本語と英語を混ぜ混ぜでしゃべって、うなずくときには、”Uh huh”とか言ってそうなイメージです。上智、ICUの方、勝手なイメージですみません。でも、私は、この耳でこういう感じを聞いたことがあるのです。私は、大学生のころ、チアリーディング部に入っていました。最近はチアリーディングの大会がBSで放送されたりしているので、ご存知の方も多いと思うのですが、チアリーディング部というのは、母校の運動部の応援もするのですが、それ以外にチアリーディング大会というものに出場し、2分30秒間に、スタンツ(組み体操みたいなもの)、アームモーション(応援で見られる腕の動き)、ダンスを組み合わせた演技を大学間で競うのです。その中には、独特の掛け声(Go! Fight! Win!など)があり、大会の観客席では、大会の応援に来た学生が、自分の大学のチアリーディング部が演技をしている間、その掛け声を叫ぶのです。私は、自分の演技が終わって観客席にいたときに、英語ペラペラ系大学の演技が始まり、ちょうど私の真後ろから、掛け声が聞こえてきたのです。その英語の発音がやたらよかったのです。あーやっぱりなー、この方々はきっと、つまずいても”Oops”なんだろうなー。と思いました。

私の大学のチアリーダー達も、英語の発音がいい人は多かったですが、そのことよりも、自分の学科の地域の色に染まっていることのほうが、大きな特色でした。部活動では、毎回筋力トレーニングとして、腹筋、背筋、腕立て伏せを10回ずつ何セットかやっていたのですが、その際に、ひとりずつ、自分の言語で1から10まで数えるのです。なんとも不思議な雰囲気の筋力トレーニングです。おかげで、色々な言語で1から10まで数えられるようになりました。まあ、数だけ数えられても、あまり役に立たないのですが・・・。

私のマレーシアへのハマり具合は?と言えば、恥ずかしながら、自慢できるほどのものではなく、3年次からは英語教育学に傾倒して、マレー語も殆ど忘れてしまったのですが、マレー語を学ぶことはとても楽しかったし、何と言っても、大学の言語オタクの雰囲気が自分に合っていて、好きでした。英語ペラペラ系大学に行っていたら、ちょっとついていけなかったかもしれません。どちらが好みかは、人それぞれだと思いますが、皆様はどちらがお好きですか?ちなみに、芸能人で、上智大学出身者は、早見優、西田ひかる等、東京外大出身者は、光浦靖子がいます。このメンツも、何か特色を表しているような気がして、ちょっとおかしくなります。

言語オタクにご興味をお持ちの方は、ぜひ東京外大の文化祭に足を運んでみてください。各国料理や、各国語での語劇を体験できて、大変興味深いです。そういえば、ちょうど今、文化祭の最中です。

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2006年11月10日
3.楽しいカイコ部屋

私は、フリーランスになる直前まで、ある装置メーカで社内翻訳者をしていましたが、そこでの環境は私にとって色々な意味で最高でした。理由の一つは、フリーとしてやっていくために必要な技術的知識と技術翻訳の経験を身に付けられたことですが、もう一つの理由のほうが、ちょっと楽しかったのです。

そのメーカで、私は、開発部の部屋にいました。周りは皆、理系の技術者ばかりです。これはもう、「萌え〜!」です。私は、ひとりだけ翻訳という違う仕事をしていたせいか、部長など偉い人が並ぶ列に席を頂いていたので、みんなをよ〜く見渡すことができました。みんなモゾモゾと開発にいそしんでいる姿を見て、私は、勝手にこの部屋を「カイコ部屋」と名づけました(かなり失礼!)。カイコは、見た目は地味だけど、人畜無害どころか、美しい絹糸を吐いて、世の中の役に立っています。この性質が、まさに「理系人」なのです。カイコ部屋の物語などを作っていました。

『ここは楽しいカイコ部屋(開発部)。カイコ(開発者)たちは、今日も、モゾモゾと絹作り(開発)にいそしんでいます。他の村(営業部)から、時々スズメバチ(営業マン)がやってきて、カイコたちを転がして遊んでは、去っていきます。ある日、外国(総務部)から、美しいチョウ(秘書)がやってきました。カイコたちは、絹作りの手をはたと止めて、その美しいチョウに見とれるのでした。』

私は、勝手に、「カイコは結婚すると蛾になるシステム」などと決めていました。(ちなみに、うちにも一匹、既に蛾になったカイコ(夫)がいます。)私は、カイコさんたちから、技術的なことを教わったり、一緒に遊んでいただいたりしました。たまに、私は、飲み会に、他の課のチョウたち(女性)を連れてきて、カイコとチョウの楽しい会にしたりもしました。とっても萌え萌えでした!

今、この環境を離れて、ひとりでおうちでホンヤクをしているのは、少し寂しいですが、カイコさんから教わった技術と、カイコさんたちとの友達関係は、私にとって何よりの宝物となって、フリーランス生活を支えてくれています。カイコは、忙しいときも、私の超基本的な質問にも、丁寧に、図を交えて分かりやすく、教えて下さいました。だから、理系としてだけでなく、人間的にも尊敬しています。カイコさんたち、カイコなんかに見立ててごめんなさい。でも、私にとっては褒め言葉なのですよ。

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2006年10月24日
2.特許翻訳者への道のり 

今回は、「特許翻訳」について、まじめにお話しようと思います。

私は、現在、技術翻訳の中でも、特許翻訳を中心に行っていますが、特許翻訳に特化してよかったなあと実感しています。

24歳のころ、留学から帰ってきて、就職活動のやり方もよく分からず、数社に履歴書を送っても全く反応がなく、「あ〜、せっかく留学したけど、英語だけできてもダメなんだなー。」と、路頭に迷っていました。大学でも留学先でも、英語教育学を専攻していたので、本来は英語教師になるべきだったのですが、留学先でたくさん読み書きをして、やっぱり、英語を教えるのではなく、自分で使いたい、と思うようになりました。しかし、英語を使う仕事って何だろう?そんなことを思っているうちに、特許事務所での仕事を見つけ、ここなら翻訳をやらせてもらえそうだ、と思い、就職することに決めました。

しかし、もちろんいきなり特許翻訳などできないので、最初は外国特許事務をすることになりました。膨大なコピー作業、パターン化された書類作り・・・私は、そのころ、留学から帰ってきて、ちょっといい気になっていたのでしょう、社会人としては何もできない新米のくせに、「何で私がこんな単純作業をしなくちゃいけないんだろう」などと、傲慢な考えを持っていました。しかし、それらの作業を通して、特許業界の知識や特許出願から権利消滅までの流れなどが分かるようになってきました。特許翻訳も、翻訳者が訳した訳文のチェックや、実際の出願翻訳を少しずつするようになりました。理系の方々に、技術を教えてもらう環境も整っていました。このころ、エイバック特許翻訳上級コースに通いました。

こうして、特許翻訳が段々できるようになり、結婚を期に、フリーの在宅翻訳者になろうかなと思い、翻訳会社のトライアルを受けました。運良く合格したのですが、ちょっと不安になりました。確かに特許事務所に4年間勤めたけれど、実際の特許翻訳の経験は、そんなに多くない・・・文系上がりなので、これといって自信を持てる技術分野はない・・・ということで、メーカの社内翻訳者になることにしました。

社内翻訳者として採用されたので、本当に朝から晩まで、翻訳に集中することができました。周りには、技術者がたくさんいたので、技術的な説明を直接聞くことができました。時には、実際の装置も見ることができました。技術翻訳には最高の環境でした。また、特許事務所出身だったため、知的財産部から、特許関連の翻訳の仕事ももらうことができました。このとき、特許事務所で仕事しておいてよかったなあ!と思いました。特許事務所では、文句を言っていたけれど、あの経験が、全て役に立っているのです。

フリーランスになっても、特許翻訳ができるから、仕事があるのだと、ありがたく思っています。特許翻訳は、英語+特許+技術が融合した、素晴らしい仕事だと思います。これからも、仕事が続けられるように、努力したいと思います。

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2006年10月6日
1.宜しくお願いします 

はじめまして、フリーランス翻訳者の景山美緒と申します。これから1年間、「美緒のおうちでホンヤク」の連載を通じて、私の在宅翻訳生活などをお伝えしていこうと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

私は、今年からフリーランスになり、主に特許翻訳をしているわけですが、この世界に入った背景には、「英語好き」+「理系萌え」というのがあります。

英語は昔から好きだったのですが、英語の歌や映画に興味がある、とか、英語話者と話がしたい、とかいう正当な理由ではなく、言語として面白いなあ、と思っていました。大学に入学して、受験英語しか身についていない私は、帰国子女や留学経験者という高度な英語を使うたくさんの友達に触発されて、「もっと英語がうまくなりたい!」と思い、米国留学しました。相変わらず英語学としての英語が好きで、帰国後には、留学中に散々読み書きした経験を生かして、翻訳の仕事をしたいなあと思うようになりました。

一方で、理系の仕事をする人に並々ならぬ憧れと尊敬の念を抱いていました。いつからこんなに理系好きになったのかわかりませんが、理系の人が、仕事中も仕事外でも専門用語を使って話したり、会社や家でまで自分の研究(もはや趣味!)にモゾモゾいそしんでいるのを見ると、私は「萌え〜っ!」となってしまうのです。理系人の性質について語りだすと止まらないので、詳しくは追々お話していきます・・・。でも、自分は、理系にはなれず、興味だけがとてもあるのです。

英語を生かしつつ、理系用語に触れられて、技術分野を広げていかれる仕事といえば、技術翻訳だっ!と思いました。それでも、特許翻訳などという世界は知らなかったのですが、入ってみたら、理系用語満載!!理系の人々とも知り合える!!とても興味深い世界でした。特許事務所で特許業界についての知識をつけ、メーカーでモゾモゾ理系人に囲まれながら技術的知識をつけ、ようやくフリーランス技術翻訳者になることができました。

特許翻訳をするには、常に最先端技術を勉強していかなければなりません。でも、それは、ステキな理系的知識が増えることで、喜ばしいことです。これからも「理系萌え」精神で翻訳をしていきたいと思います。

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<目次>

1.宜しくお願いします
2.特許翻訳者への道のり
3.楽しいカイコ部屋
4.語学系大学比較文化研究
5.ヒマならネズミを増やそう
6.理想のモゾモゾ理系像
7.文化理解って難しい
8.影の仕事
9.都会生活の思い出
10.青色申告
11.「景山」と「影山」
12.妊娠・出産体験記 その1
13.妊娠・出産体験記 その2
14.海外旅行の難関
15.日本語会話での困難
16.結婚は理系と!
17.投資ファンドに買収されてたまるか!
18.ママ翻訳者、休む間もなく仕事に突入!
19.う○こ大王
20.子育ての世界
21.ベビーアフタービクス
22.里帰り翻訳
23.鉄道系=モゾモゾ
24.インクカートリッジ特許訴訟
25.「KY」に潜む危険
26.ママ翻訳者奮闘記
27.一時保育に向けて・・・仕事が恋しい!?
28.ダメ主婦!?
29.初めての保育園
30.保育園 vs. 幼稚園
31.コトバ(最終回)

景山美緒プロフィール

1973年横浜生まれ。
東京外国語大学卒業後、米国Indiana Univ. of Pennsylvania大学院英語教育学専攻修了。 特許事務所に4年間勤務し、特許事務・特許翻訳を担当。結婚を期に転職し、メーカーで 4年間社内技術翻訳者を経験。2006年3月からフリーランスの技術翻訳者として活動中。 東京都在住。
2001年エイバック特許翻訳上級コース修了
2004年日米会話学院同時通訳科修了
2004年初級シスアド試験合格
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新連載(2010.11.08)

<連載終了/日記・ブログ>
あの手この手の特許翻訳
<連載終了/日記・ブログ>
MARIKO のドキドキ日記

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